熊野古道 大辺路一日目の写真
二日目の写真
三日目の写真
参加者:和泉さん、伊藤君、岡田さん、蔭山さん、加納さん夫妻、竹内さん、手塚さん、
永田、宮野さん、山崎さん夫妻、吉田さん、鷲尾君
2001-11-23
出発点の湯浅までは基本的に、京都−新快速→大阪−紀州路快速→和歌山−普通→湯浅であるが天王寺までは各自便利なところから乗車してもらった。私も阪急西京極から乗車し
、西院から乗車した伊藤君、鷲尾君と梅田まで一緒にいった。みんなちゃんと乗ってくるか心配だったがみんな揃って無事湯浅に到着した。湯浅駅前にはちょうどタクシーが数台
待機しており、6km程先にある井関まではそれを利用した。
ローソンの前で下車し、出発準備。初日のコースは5年前に歩いているが状況を何となく憶えている。山道に入るまでは暫く舗装路を歩くが各所に王子、旅籠等の熊野古道の案内
があった。元旅籠らしき古い家なども残っている。去年の小辺路と違って上り坂に入る前に平地で十分ウォーミングアップできるのがいい。
山の中に入ると少し登りになってミカン畑が見られ、まだまだ車も通れる道である。高度を上げると向こうに国道が見え、斜面のミカン畑は壮観である。。
昼過ぎに鹿ヶ瀬峠に着き、ここで昼飯にした。確か前回もここで昼飯にしたはずだ。ここには茶屋があったらしく少し広くなっている。しかし展望は良くなかった。峠には井戸が
あったということなのでその痕跡を捜してみたが分からなかった。
下りも石畳が敷いてあり古道の雰囲気を味わせてくれる。始めに急激に下って後は大部分のんびりと里山の風景を楽しみながら歩ける。しかし舗装路をだらだら歩くのは結構疲れ
た。途中俳句を投稿する箱があって手塚さんが関心を示していたが結局見ているだけで終わった。
神社になっているちょっと立派な高家王子で休憩してそこから紀伊内原迄は町中を歩いた。紀伊内原駅前は商店街になっていて古い薬屋もあった。紀伊内原は当然無人駅だと思っ
ていたら何と有人駅であった。乗車するのは2駅先の道成寺迄であったが会計の山崎さんが回数券を買い少しでも経費削減の努力を行った。
道成寺は一応観光地の駅でありながら駅やその周辺は寂しいものであった。駅の近くには潰れたスナック付き旅館跡もあって、かなり風化していた。
道成寺には遅く着いたが結構観光客はいたし、広い駐車場もあって車も割と停まっていた。道成寺観光にJRを利用する人はあまりいないようだ。階段を昇って道成寺に入り撮影を
一通り済ませてから、坊さんから道成寺で有名な安珍と清姫の話を聞いた。そして展示館にも入って仏像等を見学した。何とか如来といった柔和な顔付きの仏様、怖い顔をして鬼
を踏みつけている四天王、瓦等の出土品等色々あった。残念ながら撮影禁止だったので写真はない。
JR御坊から旅館までは歩いても行ける距離であったが紀州鉄道を利用した。紀州鉄道に乗るのは今回が初めてである。乗った車両は昭和30年代に製造されたもので床は木張りであ
った。こんな車両、最近ではどこにも見られないのでみんな感動していた。御坊には1977年秋にこちらに引っ越した友達の家に遊びに来て以来である。紀州鉄道の中心駅、紀州御
坊で下車すると広告通り旅館はほんとに駅の真ん前であった。駅舎は近代的な立派なものモノなので旅館の人に訊いたら、老朽化がひどかったので1979年に立て直されたというこ
とである。
泊まった旅館「あやめ」はビジネス旅館であってそれぞれの小部屋に分かれた。自分が泊まった部屋はバストイレ付きであった。
夕食は料金やビジネス旅館ということもあって別に期待はしていなかったが、そこそこのものを出してくれた。食事中、鷲尾君のKSW加入の話が持ち上がったが、ナカナカ承諾し
てくれない。そこで妥協案として愛宕例会を分担してもらうということで決着した。
2001-11-24
昨日は御坊に着くのが遅かったので紀州鉄道の撮影はこの日の朝に行うことにした。
早朝に起きて始発の御坊行き乗ってそこから西御坊行きで折り返し撮影を行った。御坊行きには何人か乗っていたが西御坊行きには自分一人であった。
西御坊に着いて列車は直ぐに折り返し発車していった。西御坊はおばちゃんが切符売りをしていた。それから先、日高川迄は1984年に廃止になっているがほとんどそのまま残って
いた。線路敷地内は紀州鉄道の所有物で立入禁止となっているが駐車されたり花が植えられたりしていた。終点日高川まで0.7kmしかないのですぐに着いた。日高川は貨物も取り
扱っていた駅で広くなっている。ここで線路は完全に終わっていてその直ぐ先には日高川が流れている。
帰りは線路を離れて、街を見ながら旅館に戻った。出発前に近く?の新装開店したコンビニで昼飯を買った。田舎のコンビニには期待していなかったが品揃えは良かった。
御坊までは又紀州鉄道に乗り、JRに1時間ほど乗り紀伊冨田に移動。紀伊冨田からは適当な交通機関がなく登り口まで大して距離もないことから歩いた。登り口の手前には草堂寺
がある。敷地は広くないが立派な寺であり雰囲気が良かったので撮影に時間をかけていたら、みんなから遅れてしまった。
登り口から途中まではずーっと林道となっており坂も緩かった。道が細くなったところでみんなが休憩していてやっと追いついた。後は山道を登るだけであった。
安居松辻峠に着いて昼食。昨日と同じで展望がない。食事中に猟師に連れられた猟犬が通った。大きな猟犬ではなく普通タイプの犬だったのでちょっと安心。
下りは鉄塔を過ぎた辺りで展望が広がる。これから降りていく方向が遠くまで見えいい感じだ。鷲尾君も長々と写していた。そこを過ぎると九十九折りで急激に下っていき、途中
でさっきの展望が良かった場所が見えた。小川を渡るところから勾配が緩くなった。
他の人たちはずーっと先を歩いていそうだったが、バスに時間に速く着きすぎても意味がないし、鷲尾君が足を痛めている(足に合わない靴を履いていたためである。)のでゆっ
くりと歩いた。途中、熊野古道には関係なく何の施設か分からないが興味をそそるものがあったので上ろうとしたが、草が多すぎて断念した。
三ヶ川バス停に近づいたところで先に行っていた人たちがこちらに向かってきた。備長炭を作る現場を見に行くという。付近の小屋にいたおじさんに聞いたらそこらしきところに
電話をしてくれたがやってないそうだった。その代わりに蜂蜜を売りつけられてしまった。そこら辺で売っている蜂蜜よりは確かに美味しかったが1瓶6000円は高すぎる。小屋の
周りには畑や水、鶏小屋などがあって自給自足の生活をしているのか。よく吠えるうるさい犬もいた。
バス停で1時間近く待ったが、やっと来たと思ったら先に乗ったカヌー客と「その荷物」で一杯で乗れなかった。折り返して来てくれるというので待っていたら案外早く来てくれ
、乗る予定の電車に乗れなかったので周参見の民宿「一楽」まで行くよう頼むと追加料金180円で快く応じてくれた。
民宿には勿論風呂は付いていたが近くの国民宿舎が温泉なのでみんなでそこにいった。
海のそばにあるしHPでも料理が売り物であることが書いてあったので期待していたのに、よこわの刺身以外は平凡でみんなの期待を裏切ってしまった。
ここはダイビング民宿であったが、ダイビング民宿というのはどうもいけない。3年前に古座のダイビング民宿泊まったが、その時も8000円もしながら夕食は普通の水炊きで風呂
は狭かった。
2001-11-25
朝周辺を散歩してから民宿を出て周参見からJRに乗った。昨日乗ったのと同様、4扉電車の2両編成であった。これは元々奈良線、和歌山線で使用されていた105系電車であったが
こちらに回されてきたようだ。以前はたくさん走っていた165系元急行用電車はかなり減っている。紀勢線は白浜、新宮までと電化されたが、沿線のローカル度はあまり変わって
いないのに、列車だけは都会化されて(お古を回されただけ)、味気ないものになってしまった。
古座で下車して地蔵峠までタクシーを利用した。途中虫喰岩とい奇岩に立ち寄った。ここら辺はこういった奇岩が多いそうだ。又司馬遼太郎の別荘もあったという。
タクシーでほとんど登り切ったので地蔵峠入り口から地蔵峠まではすぐであり、峠は特に何もない峠なので直ぐに下山した。
下りは集落までほとんど車道を歩いた。ロードマップで峠付近が省略されている道であるがちゃんとした舗装路で車も時々通る。途中、トルコで見たような、岩のくぼみに作られ
た家屋があった。何とBSアンテナが付いており、ちゃんと人が住んでいそうだ。
佐部の集落には空き家と養魚場の跡らしきものがあった。空き家自体は人が出ていってからどれほど経つのか分からなかったが、ローラ式の脱水機が付いた洗濯機があった。中に
は入れなかったので隙間からカメラを入れて撮影をしたものである。
その先の佐部口で道路が二手に分かれ、この辺ではJRが近づいているので電車の音が聞こえる。タクシーを使わなかったらここでJRの方向に向かっていなければならなかっただろ
う。左に曲がって上田原集落へ進んだ。
そろそろ山道になるのであるが国土地理院のHPからただで入手した地図ではどこが入り口なのか分かりにくい。林道をそのまま進めばいいのかと思っていたら地元の人がそっちで
はなくここから登るんだと教えてくれた。
これまでとは違いいきなり勾配のきつい山道になった。20分ほどのところに展望の良い場所があるというのでここら辺だろうというところで昼食にしたが展望はもう一つだった。
もう少し先に展望が良いところがあったので、我々の20分歩いたのと、地元の人が20分歩いたのでは違ったようだ。
タクシーで地蔵峠までかなり時間と体力に余裕ができたと思ったが徐々に遅れが生じ、八郎峠に着いた時間は予定の電車に余裕がなかった。それでもせっかくなので荷物を置いて
八郎山に登った。八郎山からの眺めは標高が250m程しかないのに今回最も良かった。潮岬も見えた。ゆっくりとしたかったが電車の時間もあるので仕方なく峠まで戻って中里に向
かった。
中里バス停に来てみると電車に乗れるバスがない! 当初の予定では下里まで歩く予定であった。タクシーで時間稼ぎをしたのだから余裕で行けると思っていたが、こんな時間に
着いたんでは軽く走って行くぐらいでないと電車に間に合わない。もう又タクシーしかないので近くの電話ボックスの電話帳であちらこちらに電話したが休み等で大ピンチ。紀伊
勝浦のタクシー会社にやっとつながって来てもらった。特急の時間には余裕があったので、初めは古座まで走ってもらうことも考えたが、運良く当初予定通りの下里で十分間に合
った。古座で下車して近くのスーパーでつまみ等を買って「スーパーくろしお30号」に乗りこんだ。帰りは乗り継ぎ無しで、そして無事京都で解散した。