若き日のブラームス
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J・ブラームス(1833-1897はドイツのハンブルグ生まれで、半生をウィーンで送りました。 ワーグナーと並ぶ、19世紀後半に活躍したドイツの大作曲家の一人で、ワーグナーが作曲活動のほとんどを歌劇に費やしていたのに対して、ブラー
ムスは、ピアノ曲、室内楽曲、交響曲、歌曲などをたくさん作曲し、歌劇などの劇音楽や、その頃流行していた交響詩などは1曲も書いていません。
そのことはブラームスは純粋に音楽の美しさや深さを求めていた作曲家だったからだともいえます。 ブラームスは無口でかざり気のない、何ごとにも控え目な人だったと伝えられていますが、
そのためか、作品は重々しく、派手さの少ないないものが多いのですが、でも、『ワルツ集』 や『ハンガリー舞曲集』などの親しみやすくて楽しい曲もたくさん作曲しています。
ブラームスは子どもの頃から音楽家だった父の手ほどきを受け、ヴァイオリンやチェロの演奏ができるようにうなっていましたが、ピアニストになりたかった彼は、両親を説得してピアノの先生に就き、めきめきと腕を上げていき、10才の時には公開の室内楽演奏会で、大人に混ざって
ピアノのパートを受け持つまでになっていました。
ブラームスが20才近くになった頃、ハンガリーの優秀なヴァイオリン奏者で、彼より3才年上のエドワード・レメニー(1830-1898)
と知り合いになり、この人のピアノ伴奏者として演奏旅行をしたことがありましたが、その間にブラームスはレメーニからハンガリーの音楽、特にジプシーの音楽についての知識を得、これに強い興味を感じて、やがて何曲かのハンガリー舞曲を
作曲することになりました。
ブラームスが作曲したハンガリー舞曲は全部で21曲ありますが、この第5番は、アレグロ、4分の2拍子の3部形式で、オーケストラにも編曲されて、最も有名な曲です。
この曲は、流れるような、それでいて激しさを秘めた第一部に続いて、第二部(中間部)は、調子が嬰ヘ長調 に変わります。ヴィヴァーチェと指定されているものの、テンポをしばしば変化させて緩急自在で進み、第一部での秘められた情熱を爆発させます。そこには持続和音がおかれ、その後、
第1部が復帰します。 この舞曲にも短調、メロディに装飾音符をつける 、速度を大胆に変化させる、節分音(シンコペーション)でリズムに変化をつける等のレメーニから学んだジプシー音楽の特徴が生かされていて,独特な味わいを持った名曲になっています。この曲のCD又はVideoの画像付で音楽が聞ける無料サイトはここにあります。→●(クリック)
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