曲 名
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ドボルザーク作曲 「ユーモレスク」
解 説
ドボルザーク
ドボルザークの散歩道
散歩道の周辺
アントニーン・ドボルザーク(1841-1904)は チェコスロバキアの作曲家ですが、早くからヴァイオリンを演奏したりして音楽の才能を現わし、やがてこの国の首都プラハの音楽学校でオルガン等を学びました。その後、プラハの国民劇場の楽団員を務め、この楽団の指揮者となったスメタナ(交響詩モルダウの作曲者)の、民族主義の影響を強く受けて作曲に専念しますが、1975年にはオーストラリア政府の募集に応じた作曲が入選して審査員のブラームスにも認められ、 1984年には指揮者として渡英したイギリスでも成功を収めます。更に、19992 年にはニューヨークのナショナル音楽院の院長に推挙され、この国で「新世界交響曲」、「スラヴ舞曲集」、弦楽四重奏曲へ長調「アメリカ」などの器楽曲等、西洋音楽の伝統を受け継ぎながらも、民族色豊かな旋律を使った重厚な響きのある作品を作曲いますが、その底流にはかってスメタナから影響を受けた、民族音楽への深い愛情があってのことだと思われます。 ここで聞く「ユーモレスク」はドボルザークがアメリカに滞在して3年目の夏(1894年8月)に一時帰国して過ごした、ボヘミヤのヴィンカー村の別荘で作曲していますが、彼はこの村をこよなく愛し、別荘まで建てて夏の大半はここにこもって作曲を続けていて、ドボルザークの曲想はボヘミヤの森の散歩道で生まれたものが多くあり、ここから国民音楽の傑作が次々に生み出されていったと伝えられていますが、豊かな情感あふれるこの「ユーモレスク」もその一曲です。
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