里見 義 作詞 ビショップ作曲「埴生の宿」

  ヘンリ・ビショップ(Henry Bishop 178〜1855)はイギリスの作曲家で指揮者としても活躍しているが、最初は劇の付随音楽の作曲で成功を収め、後にコヴェントガーデン王立歌劇場の音楽監督等に就任。劇の付随音楽等を数多く作曲している。1848年にはオクスフォード大学音楽教授となり、1853年には同大学より音楽博士号を授与されている。数多くの劇のための付随音楽を作曲し、当時は高い人気を得ていたが、本格的なオペラは《アラディン(Aladdin)》のみで、ほかは既存歌曲の編曲などが中心で、今では《クラーリ、ミラノの乙女(Clari,or the Maid of Milan)》の中の《埴生の宿(Home,Sweet Home)》の作曲者として記憶されている。
  Home,Sweet Homeの作詩はアメリカの劇作家で俳優でもあったペイヌ(1791〜1852)で、彼はイギリスへ渡り、ヨーロッパ各国も回ったが、「クラーリ」の作曲をビショップが担当し、この歌劇の中で歌われたこの歌が評判になり、のちに独立した歌曲になったものと伝えられている。
 里見 義(さとみ ただし)(文政7年:1824〜明治19年:1886) 作詞家で明治14年音楽取調掛御用となり、明治16年、文部二等属、編集局勤務。在職中には伊沢修二に協力し、「庭の千草」、「埴生の宿」などの唱歌を作詞(訳詩)した。明治19年依願免官。明治19年8月12日没。

 すでに述べたように、この歌はビショップが作曲した「楽しき我が家(Home,Sweet Home)」に里見義が作詞したものだが、この歌の詩は英語の原詩に忠実に作られており、作詞というより訳詩といったものだと言われている。
 埴生の宿(はにゅうのやど)に
は、土の上に筵(むしろ) などを敷いただけの粗末な小屋。また、土で塗っただけの粗末な家。 見窄(みすぼ)らしい家。という意味があり、住いは貧しくとも、心の通いあった暖かい家庭、我が家が一番楽しいうところだという詩だが、更に自然を愛する心豊かな生き方の大切さも歌ったこの歌詞に、ビショップの素朴で気品のあるメロディーとが結びついて、明治から大正、昭和の終戦まで、更に戦後間もない新制中学校の音楽教科書にも再び この曲が登場していて、外国曲でありまながら日本人の心の歌としてすっかり定着した名曲だといえる。
  尚、明治18年の音楽取調掛(東京音楽学校→東京芸術大学大音楽学部の前身)の卒業演奏会に、この曲を4部合唱で歌ったという記録が残されている。


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