巌谷小波 作詞 文部省唱歌 「 富士山 」

  この唱歌は小学校2年生用としてつくられているが、歌詞も音楽も、これほど簡潔的確に富士山を歌いあげるのは容易なことではないと評価された唱歌だった。当時の子どもたちは「雷様を下に聞く」という表現を面白がって歌ったといわれている。現在は小学校3年生の音楽教科書に、この曲が入っている。

巌谷小波(1870〜1933)

 裕福な家庭に育ち 、医者になることを期待されて育ったが、本人は文学を好み、尾崎紅葉が主催する硯友社に入った。「こがね丸」がきっかけになって、博文館から次々にお伽噺を発表した。明治27年(1894)からは雑誌「少年世界」の主筆となり、児童向け雑誌や「日本昔話」、「世界お伽噺」などを発刊した。明治33年(1900)から2年間、ベルリン大学東洋語学校に日本語教師として赴任し、帰国後、ドイツでの見聞をもとに、「学校芝居」を提唱、そのための脚本も書いた。又、「お伽のおじさん」とも呼ばれ、児童文学の祖となった。

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