佐佐木信綱作詞 小山作之助作曲 「 夏は来ぬ

1) 卯(う)の花の匂う垣根に、時鳥(ほととぎす) 早も来なきて、

      忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ。

2) さみだれの注ぐ山田(やまだ)に、早乙女(さおとめ)が 裳裾(もすそ)ぬらして、

      玉苗(たまなえ)(う)うる 夏は来ぬ。   

3) 橘(たちばな)の薫る軒場(のきば)の窓近く  蛍飛びかい、

      おこたり諌(いさ)むる 夏は来ぬ。

4) 楝(あうち)ちる、川辺の宿の門(かど)遠く、水鶏(くいな)声して、

      夕月すずしき 夏は来ぬ。

5) 五月(さつき)闇、蛍飛びかい 水鶏(くいな)なき、卯の花咲きて、

      早苗(さなえ)植ゑわたす 夏は来ぬ。

 忍音(しのびね):初夏にホトトギスがまだ声をひそめて鳴く声にこと。 水鶏(くいな):夏に水辺で夜から明けにかけてカタカタと鳴く鳥の一種。2番の歌詞の早乙女は、この歌が発表」されたときには「賎(しず)の女(め)」になっていた。

 この歌は明治・大正の頃の人で歌わなかった人はなかったのではないかといわれるほど有名な唱歌で、明治29年に発表されてから、昭和初年にはNHKラジオの国民歌謡に取り上げられたり、戦後も、昭和22年発行の教科書「5年生音楽」にも掲載されたことから、幅広い年代の愛好者がいる。

佐佐木信綱(明治5年:1872〜昭和39年:1963)  歌人、国学者、三重県鈴鹿の出身。

 東京大学文学部古典科を卒業。正岡子規、与謝野鉄幹らとともに短歌革新運動に参加、明治36年、第一歌集「思草」で歌人としての位置を確立。父弘綱 との共著「日本歌学全書」 の刊行をはじめ、万葉研究、歌学史研究、古典の復刻等、国文学史 上多大な功績を残した。
 
唱歌の作詞には「夏は来ぬ」、「出師営の会見」、「秋の夜半」等がある。

 

小山作之助(文久3年:1864〜昭和2年:1927) 作曲家、音楽教育者 新潟県大潟町の出身。

 明治学院、東京音楽学校卒業(文部省音楽取調所入学)。 母校東京音楽学校で教鞭をとりながら学生の指導、音楽の研究、唱歌の作曲等に持ち前の情熱を傾注した。わが国音楽教育の生みの親、伊沢修二の絶大なる信頼を得、彼の下で音楽教育の発展に献身的な努力(含音楽大学の創設)をしたが、滝廉太郎等の後進の育成にも大きな力を注いだ。作曲としては29才で発表した「国民唱歌集」をはじめとして数多くの作品を残しているが、作曲した作品には記名されていないもが多いといわれている。
  彼の作曲として分かっているものには「夏は来ぬ」、「観兵式の歌」、「漁業の歌」、「広瀬中佐」、
「吉田松陰」、「春の心」、「日本海軍」等がある。

もとにもどる