船人がライン河畔の岩の上で歌う妖女の歌声に魅せられて聞いているうちに、船が淵に飲み込まれて難破してしまうという伝説を歌ったハイネの詩にジルヘルが曲をつけ、それに詩の部分を近藤朔風が翻訳して女性唱歌集に入れたことがはじまりで、この歌は、戦前は主に女学校で歌われたと思われるが、戦後は新制中学校の音楽教科書にはじまり、長年に亘って中学校の音楽教科書に掲載されてきた歌である。
ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine 1797〜1856) 19世紀ドイツ最大の詩人の一人
詩・紀行文集「旅の絵」 、詩集「歌の本」、評論「ロマン派」、「ドイツ宗教哲学史」、「ドイツ、冬物語」、晩年詩集「ロマンッェーロ」等の著作が残されている。
ジルヘル(英語読みはジルヒャー)(Silcher,Fridrich 1789〜1860)
ドイツの民謡収集家、作曲家
1806年に音楽教師の仕事をはじめ、ウエーバーとの出会いをきっかけに音楽家の道をめざすようになった。1817年にチュービンゲン大学の音楽監督になってから、1829年に男性合唱団、1839年には混声合唱団を設立して演奏活動を行う。1852年名誉哲学博士。ぺスタロッチとネーゲリの思想に共鳴し、その教育理念を大衆音楽教育として実践。存亡の危機に瀕していた民謡を収集・編曲活動を通じで救出し、家庭音楽やアマチュア・コーラスのレパートりーとして新しい命を与えた。ウエーバー、メンデルスゾーン、シューマン等の作品を参考に、世に出した約250曲の歌曲や多くの合唱曲(編曲)の中には、今なお歌われているものもある(ローレライなど)。ほかに教会用合唱曲、鍵盤楽器のための作品等が残されている。
近藤朔風(1880〜1915) 訳詩家
東京外国語学校を卒業。明治36年、この外国語学校在学中に 東京音楽学校でオペラを上演した際に、翻訳を担当したと言われている。その後「音楽新報」誌上に西洋歌曲の訳詩を次々に発表したが、当時、「
ローレライ」は名訳として評価されていたという。外国語学校では英語を選考したが、後にドイツ語に転じ、イタリヤ語も勉強していたし、美術学校や音楽学校にも通っていたといわれている。
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