作詞者未詳 筝曲「うさぎ」

 伊沢修二が明治14年にはじめて編集した唱歌教材集には伝承的な日本旋法の童歌等は低俗なものとして取り入れられていないが、10年後になって同じ伊沢修二が編集した「唱歌集」には数は少なくてもわらべ歌や民謡等が入ってきていることから、この時代に唱歌にもわが国の伝統文化を尊重する配慮がなされるようになってきたものと考えられる。
 一方、この曲がどのような経緯で取り上げられたかについては明らかにされていないが、筝曲に使われていたメロディーに、当時、一般に伝えられていた「月兎 」の民話等を素材にして、小学校低学年にふさわしい歌詞をつけたものと思われる。情景としては十五夜の月の中で餅つきをしている兎を見て、地上の兎が飛び跳ねるといったものだと思われるが、下記のような民話や伝説が日本国中にゆきわたっていた時代の小学校1年生が歌った唱歌である。(現行教科書では3年生)

≪月兎伝説(民話)について≫

 アポロ11号の月面着陸で人間が月に到着してから30年が経過しているが、この唱歌がよく歌われていた明治から昭和16年頃までは、子どもの生活の中に、月を見て兎が餅つきをしている情景を想像することが一般的で、月兎の伝説も明治から昭和の初期にかけては、一般に語り継がれていた。
 日本で月兎 が登場するのは現段階では弥生時代の銅鐸(桜ヶ丘5号銅鐸)に描かれたものが最古といわれているが、ウサギの発音はインドの古語のサンスクリットでは月の一名をいい、「ウサギ」という言葉には跳びはねる動作をさすという説もあり、一方仏教美術の月天は十二天の中の月宮殿に住む王で、兎がその使者とされていることから、わが国では仏教とのかかわりで月兎の伝説(民話)が伝えられてきたように思われる。

                  インドのジャータカ神話より「月兎と帝釈天」

 昔、兎と狐と猿の三匹が仲良く暮らしておりました。三匹は前世の行いが悪かったので、今はこのような動物の姿にされているので、世のため人のためになるように頑張ろうといつも話しておりました。帝釈天はこの話を聞いて、何かよいことをさせてあげようと、老人の姿になってこの三匹の前に現れました。
 三匹は老人のために色々と世話をしてあげました。猿は木に登って果物や木の実を採ってきてあげあげましたし、狐は川の魚をつかまえててきてあげました。兎は色々考えましたが、老人を世話 してあげることがなかなかみつかりません。うさぎは考えに考えた末、老人に焚き火をしてもらい、「私には何もお世話をすることができませんので、せめて私の体を焼いて召し上がってください。」 と言うや、火の中に飛び込んで黒こげになってしまいました。
 これを見た老人は帝釈天の姿に戻り、「お前たち三匹はとても感心したものだ。きっとこの次に生まれてくるときには人間として生まれてくるようにしてあげよう。特に兎の心がけは立派なものだ。この黒こげになった姿は、いつまでも月の中においてあげることにしよう。」 と言われたそうです。こうして月には今でも黒こげになった兎の姿が見えるそうです。
 帝釈天仏教の守護神で梵天(ぼんてん)と対をなすことが多い。もとはインド神話のインドラ。須弥山(しゅみせん)の頂上の天に住む十二天の一つで東方を守る神。

                  山もと一二三編 新城の伝説より「月とうさぎ」

  昔、神様がやせおとろえ、腹のへった老人になって森の中で倒れていました。すると、それを見た猿と狐と兎がとんできて、やさしくかいほうしました。そうして腹のへった老人のために、何か食べものをさがしてこようと相談しました。
 猿は木にのぼり、たくさんの木の実をとってきてあげました。狐は川から、おいしそうな魚をつかまえてきてあげました。けれども兎は、いっしょうけんめいに山や野原を飛びまわってさがしましたが、何ひとつさがしだすことができませんでした。日もくれかかったので、兎はめんぼくなく思いながら、とぼとぼと力なく帰ってきました。そして、猿や狐が、それぞれとってきたものを、じまんそうに老人にすすめているのを見ると、兎はすっかりしょげてしまいました。
 兎は、後ろのほうで、小さくなりながら考えこんでいましたが、やおらたちあがると「どうか私を食べてください。」 と叫びながら、老人の前で赤々と燃えている火の中へ、われとわが身を投げ込んでしまいました。
 この時す早く、さっとのびた老人の手は、火の中から兎をすくい出していました。そして、老人の姿はたちまち、神々(こうごう)しい神の姿に変わって、兎を抱いたまま天にのぼってしまいました。それから兎は、月の世界につれていかれ 、神さまのお使いになりました。今でも、月を見ると、兎が餅をついている姿が見えますが、あれはその時の兎だということです。
 よく山や野原から兎の子をとらまえてきて飼っておきますと、いつの間にかいなくなってしまいますが、これは夜中にお月様が、そっとつれていってしまうのだといわれています。


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