文部省唱歌 「 われは海の子 」

 海を見たこともない山村育ちの子どもたちまでが、この曲の爽快で堂々とした感じに惹かれ、声を張り上げて元気に歌っていたことが思い出されるが、この曲の作詞や作曲についてはよく分かっていない。というのは、この頃の唱歌は文部省から委嘱された作成委員のメンバーの合議によって作成されていたことが理由のようである。しかし、後になって作詞については、芳賀矢一だという説が有力である。

 歌詞については3番までしか習った覚えはないが唱歌の原典版では下記のように7番まであり、国語と併用して指導の徹底を図っていたことが分かるし、7番の歌詞では当時の国情を伺い知ることができる。

       4)  丈余(じょうよ)のろかい操りて 行手(ゆくて)定めぬ浪まくら、

          百尋(ももひろ)千尋(ちひろ)海の底 遊びなれたる庭広し。

       5) 幾年(いくとせ)ここにきたえたる 鉄より堅きかいなあり。

           吹く塩風に黒みたる はだは赤胴(しゃくどう)さながらに

       6) 浪にただよう氷山も 来たらば来たれ恐れんや

           海まきあぐるたつまきも 起こらば起これ驚かじ。

       7)  いで大船(おおふね)を乗り出して 我は拾わん海の富。

           いで軍艦に乗り組みて 我はも護らん海の国。

                      (尋常小学読本巻十一巻)

もとにもどる