文部省唱歌 「 鯉のぼり 」
 最近では端午の節句(クリック)に鯉のぼりを飾ることの意味等は殆ど忘れ去られているが、我が家に男の子が誕生したことを天の神に告げ、「この子を守ってください。」と守護を願って目印にしたものが「鯉のぼり」で、この歌の3番の歌詞の「百瀬の滝を登りなば、忽ち龍になりぬべき」の部分、「鯉が龍門の滝を登って龍にとなって天に昇る」という中国の故事からきているいるようです。この故事は「登竜門」という男子の成長と出世を願う言葉にもなっていますが、鯉は清流だけではなく、池でも汚い沼でも生きられる生命力の強い魚ですから、環境の良し悪しにかかわらず、立派に成長し、立身出世を果たすことを願って飾られるようになったと言われています。
 江戸時代には武家に男子が誕生すると、玄関の前に馬印や幟を立てて祝う習慣がありましたが、これが一般家庭にも広まって幟を立てるようになり、庶民によって今のような鯉のぼりが考案され、町人の家庭から農村へと広まっていったということです。
 
  爽やかで勇壮なこの名曲を誰が作曲したのかということですが、講談社の「日本の唱歌(中)」 では、作曲したのは東京音楽学校在学中の作曲家弘田竜太郎(1892〜1952)で、当時は学生時代の作曲は著作権が承認されなかったということで、この唱歌の作曲者名が書かれていなかったようです。弘田竜太郎といえば数多くの歌曲、唱歌、童謡等の名曲を残した作曲家で、日本人でこの人の作曲した曲をひとつも知らない人はいないというほどですが、誰でも知っているような代表的なものを上げると、歌曲では「千曲川旅情の歌」、童謡・唱歌では浜千鳥」、「靴が鳴る」、「叱られて」等があります。
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