01) 鹿島鳴秋作詞・弘田龍太郎作曲「浜千鳥」
 西条八十が作詞した「かなりや」の詞を成田為三が作曲し、これを子どもの声でレコード化し影響は絶大で、以後、日本を代表する作曲家による童謡の名曲が次々に誕生し、子どもの歌でありながら、芸術歌曲に達するレベルにまで高められていきました。こうした活動の中で生まれたのが童謡「浜千鳥」で、作曲の弘田龍太郎はドイツ留学後、東京音楽学校の作曲科教授まで務めた、当時の日本を代表する作曲家で、生涯に亘って童謡の名曲を数多く(靴が鳴る、鯉のぼり、春よこい等)残しています。  
  一方、作詞の鹿島鳴秋は六才にして父母と別れて祖父母のもとで育てられ、苦学の末、大正前期に清水かつら等と小学新報社を起こし、雑誌「少女号」を発行、この雑誌を中心に童謡を発表していきましたが、彼はこの歌の他、「金魚の昼寝」、「お山のお猿」等のいくつかの名作を残しています。  「浜千鳥」の歌詞については様々な解釈がありますが、最近の研究では雨情はこの歌を通じて、孤独で不遇な過去を精算し、思い出へと昇華させたのだという説が有力で、最後の「銀の翼の浜千鳥」は、この詩を書いた当時の自信に満ちた鳴秋自身だと言われています。