08) 北原白秋作詞・草川進作曲「ゆりかごの歌」
  北原白秋 明治18 年(1885)〜 昭和17年(1942) 福岡県出身 近代日本の文学・文芸に大きな足跡をのこした歌人、文学者。福岡県山門郡沖端村(現・柳川市)に生まれ、早稲田大学に入学後の長編詩「全都覚醒の賦」で頭角をあらわし、1907 年の「邪宗門」、1909 年の「思ひ出」などの作品により、まだ二十代前半にもかかわらず詩壇の逸材として大きな評価を獲得しました。作詞者としては、鈴木三重吉が大正7年(1918)に創刊した雑誌『赤い鳥』の中心的作家の一人として活躍し、「童謡」という新しいジャンルの確立にもその才能を発揮した。童謡・歌曲の作詞としては「城ケ島の雨」、「砂山」、「あめふり」「雨」、「こんこん小山の」、「この道」、「あわて床屋」、「かえろかえろと」等の名作が残されています。  
  ところで、白秋はこの「ゆりかごの歌」に関わって「お話・日本の童謡」の中で、ねんねん唄の節まわしほど、忘れられないものはない。ねんねんねんねんとお母さんが子どもたちを蒲団ぐるみに軽くたたいてくださる。おねむりおねむりという風に、ねぶたい調子にできている。どうかするとお母さんの乳から引き離されてゆきそうな、怖いような、うれしいような、泣きたくなるような、何とも言えぬ夢の心もちに引き入れられてしまう。白秋は決まり文句を見事に活かしきって、「ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよ」とゆったりリズムをたたみかけ、子どもの眠りをさそうことに成功している。と書かれた文章を読んだことがありますが、注目すべきは第四節の「揺篭の夢」であり、白秋にとって夜の眠りは母の愛を受け止める至福の時間でもあって、こうした「ゆめ」の複雑な混在こそが、白秋の特質であり、偉大さであると言われています。
     四、 ゆりかごの夢に 黄色い月が かかるよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ  
  草川進 明治26年(1893)〜昭和23年(1948) 長野県出身。 東京音楽学校卒業後、主に童謡の作曲で活躍し、「夕焼け小焼」、「ゆりかごの歌」、「どこか で春が」、「汽車ポッポ」などの名作を残しましたが、東京音楽学校作曲家教授としても長く後進の指導にあたりました。草川は作曲技法としては当時としては新しい高度なものを習得しており、この技術を使って児童の側に立った洗練された童謡の名作を生み出していますが、バイオリンの演奏を得意としていたことも、優美な旋律を生み出す要因だったのではないかと思われます。