13) 海野厚作詞・中山晋平作曲「背くらべ」
  中山晋平はこの曲を作曲する時に北原白秋の「あめふり」とこの曲の両方を作曲することになっていました。しかし、詩人の海野 厚がかねてから病んでいた結核の容態が思わしくない のをおもんぱかって、海野が作詞した歌詞の方を優先的に作曲しました。歌詞は最初は一番だけでしたが、晋平に促されて海野が自分の兄弟の生活記録のような2番を作りました。1拍目を二つに割った3拍子のリズム、シの音を省いた6音の長音階のメロディーは当時としては極めてハイカラなものでした。  
  作詞の海野 厚は明治29(1896)の8月に、静岡市曲金(まがりかね)の旧家の長男として生まれた。 本名は厚一といい、弟妹は6人。旧制中学校卒業後に上京し早稲田大学文学部に入学。 始めは俳人を希望して俳句誌「曲水」で活躍。大正7年(1918)7月創刊の童謡雑誌「赤い鳥」の第2号に「青鳩」、第4号に「廻り燈篭」、第6号に「天の川」というように童謡を投稿しました。この時選者だった北原白秋は海野の詩に賞賛の辞を贈り、彼は童謡詩人の道を歩 むようになりました。その後、少年雑誌「海国少年」の編集、発行にも携わりますが、肺結核を患い大正14年5月に28歳の若さで亡くなりました。 海野厚は作曲家の中山晋平、外山国彦、小田島雅人と4人で大正11年に「鳩の笛社」を結成、「子供達の歌」を3号まで出版しました。これには5曲ずつ15の童謡と楽譜が載っています。厚と晋平コンビによる童謡は全部で6曲残されています。