06) 野口雨情作詞・本居長世作曲「青い目の人形」
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この童謡は大正10年12月「金の船」第3巻第12号で発表されました。当時、アメリカから日本の小学校へセルロイドの人形が贈られ、こどもたちはアメリカに対して強い親愛感と憧れを持ったと伝えられていますが、雨情がこの歌詞を考えたのは、当時、国境、民族を越えて歌ってよい童謡がなかったからだと自ら語っています。 大正12年(1923)に関東大震災の支援に対する答礼使節として、本居長世、そして長女みどり、次女喜美子がハワイ、アメリカ西海岸へと旅立ち、各地で童謡のコンサートを開きますが、どこへ行っても「青い目の人形(Blue eyd doll)」が大好評だったし、日系移民の皆さんも、祖国からやってきたという使節団の公演に多数詰めかけ、どこへ行っても、この曲のある部分に来ると、皆、涙したといいます。ある時などは、号泣した男性もいて長世を驚かせています。 |