14) 百田宗治作詞・草川 進作曲「どこかで春が」
  百田宗治 明治26年(1893)〜昭和30年(1955)  大阪生まれ、明治38年育英第一高等小学校卒業後、個人的にフランス語を学びました。 生まれてから27歳までは伯父の家にひきとられ、西区新町橋近くで多感な少年時代を過ごしましたが、大正4年、初めて百田宗治の名で詩集「最初の一人」を刊行、次いで個人小雑誌「表現」を創刊しました。このころから人道主義、民主主義の傾向に移り、大正5年、詩集「一人と全体」の出版によって民衆派詩人として世に認められるようになりました。大正7年、これら2詩集の代表作を収録した総合詩集「ぬかるみの街道」を出版するに及んで民衆派詩人としての声価を高めました。  その後、「青い翼」「風車」を刊行しましたが、大正14年に刊行された詩集「静かなる時」では内省的で穏便な詩風へと移っています。  大正15年、三好達治、丸山薫、北川冬彦など多くの詩人や作家を同人として「椎の木」を創刊、主宰。この頃から詩風が一変して、日本的な心境詩に転じ、俳句的味わいを持った閑寂な短詩を書くようになりました。昭和7年には児童作文の指導詩「工程」に拠って、波多野完治、滑川道夫らとともに全国 の小学校教師と連携して綴方運動をはじめ、これが生涯の仕事となりました。 「何もない庭」は、昭和2年に刊行された同名詩集に収められており、この詩人の生涯の頂点 をなす澄んだ心境を見せたものと高く評価されています。    
 草川進 明治26年(1893 )〜昭和23年(1948) 長野県出身 作曲家、ヴァイオリン奏者  東京音楽学校師範科卒業。ヴァイオリン、歌曲の作曲もあるが、雑誌「赤い鳥」を中心 に作った童謡作品が最も知られています。全体として「揺篭」のように長調でヴァイオリン奏 者らしい流れるような旋律をもっている曲が多いのですが、中でも3/4 拍子の「風」と「吹雪の晩」、唱歌スタイルの「夕焼け小焼け」、わらべうたの雰囲気を持った「どこかで春が」がよく知られています。 (既に紹介済みであることから、ここでは要点のみを記述した。)