19) 野口雨情作詞・中山晋平作曲「 紅屋の娘」
  この歌が童謡として発表されていたことを知る人は殆どなといってもよいほどですが、昭和4年6月発売のレコードではA面が「東京行進曲」、B面に「紅屋の娘」が入っていて、両面とも佐藤千夜子が歌って空前の大ヒットとなったことから、この歌は一般には流行歌というイメ ージになってしまったように思われます。又、この歌(紅屋の娘)のあまりのヒットぶりに、当時の文部省では全国の学校に役人を派遣し、子どもたちが学校で唱歌以外の唄を歌わないよう監視を強めました。街頭で少年店員が「紅屋の娘」を歌わないように、巡査に取り締まって欲しいと要望した校長さえあったと伝えられています。  
  こうしたさわぎについて雨情は昭和7年4月号の雑誌「令女界」 で、「単にいけないとだけでは、歌曲を侮辱するだけで、一般歌曲の進歩を阻害することになる。我々は首肯するわけにはいかない。」と書いています。(「首肯(しゅこう)」○意味:うなずくこと。納得し、賛成すること。) 「紅屋」はベニバナから採った天然の紅[べに]を売る店のこと。白粉[おしろい]を売る店は粉屋だが、紅屋でも白粉を含む化粧品一般を売っていたようだ。ほかに、東京神楽坂にあった[紅屋]がモデルだという説もあり、ここの店の二階が喫茶店で、女学生たちがたむろしていたという。