《音の回想17》出会いをいかす

(1)

 リコーダーというと、小学生や中学生が音楽の授業等で使っている縦笛のことだが、今では殆どの人がこの楽器の名前を知っておられると思う。私は40年以上もこの楽器の演奏や指導に関わってきたので、この楽器が縁で、今までに直接の教え子のほかに、数多くの人との出会いがあった。
 こうした人たちの中には世界的な演奏家や教育者もおられたし、日本を代表する作曲家や演奏家、それに私の拙い音楽の授業等を参観して下さった数多くの先生方や教育系大学の学生も含まれている。更に旧西ドイツで研究発表をさせていただいたり、韓国のいくつもの教育大学で集中講義をしたこともあったので、今までにリコーダーという楽器の音楽を媒体にして大変な数の人たちとの出会いがあったことになる。今は過去を回想するいく分かのゆとりがあることから、私を育てていただいた印象深い出会いについて書いて見たいと思う。
 私がリコーダーという楽器の名前をはじめて聞いたのは昭和30年のことで、今は音楽評論家の第一人者として活躍しておられる皆川達夫先生の若き日の西洋音楽史の講義だったと思う。しかし、この楽器の実際の演奏を聞いたのはその6年後で、チロルの音楽一家『エンゼルファミリー』の名古屋公演の時だった。
 この一家はチロルの民族衣装をまとって、室内楽やこの地方の民族音楽、それにヨーデル風の合唱曲などを演奏したが、リコーダーで演奏したバッハの『コラール』や『口笛吹きのポルカ』は私を全く魅了させ、この時、生活に根ざす音楽の素朴な美しさやリコーダーのすばらしさを知らされた。
 私はこの演奏を聞いてから生活化を目ざす音楽教育を進めるようになったが、一家のリーダーであるフリッツ・エンゼル氏が高校の音楽教師であったことが幸いし、この一家との交流をとおして本当に多くのことを学んだ。
 今でもチロルアルプスの美しい映像を見る度に、彼等との出会いのことや美しいリコーダーアンサンブルの響きが思い出される。
(2)

  昭和43年のことだが、『婦人の友』という雑誌社が教育特集記事に、私のやっていた中津川での音楽教育を取り上げたことがあった。これが哲学やフランス文学の権威で随筆家でもある、串田孫一氏との出会いのきっかけとなったのである。
 その頃は日本でリコーダーによる音楽教育をしている学校は殆どなかったし、音楽教育が家庭や地域にまで発展している例も珍しかったので、串田氏がFM放送や雑誌で取り上げて下さったこともあって、私の音楽教育に対する賛同者が急速に増えていた。
 小金井にある串田氏の自宅へも二、三度お伺いしたことがあるが、深い自然愛や人間愛に支えられた人間性豊かな物の見方、考え方に接し、技術中心になっていたそれまでの音楽教育を深く反省させられた。
 又、この頃、生徒の演奏や音楽の生活化を綴った作文が外国にも紹介されて話題となり、ベルリンでささやかな研究発表をする機会にも恵まれたが、この時、当時としては世界で最も優れたリコーダー合奏の指導者で、ノイケルン青少年音楽学校の校長でもあったルドルフ・バルテル氏との出会いがあった。東ベルリンとの国境に近いクレフェルトの町で、この校長自身の合奏指導を参観させていただいたが、音域の違う8種類のリコーダーを使った大合奏は、音程が見事に合っていて、音楽の表現力も弦楽合奏にひけを取らないものだったし、中・高校生年代の子どもたちが心から音楽を楽しんで、いきいきと演奏していた。バルテル氏との音楽教育論議は価値感の相違で噛み合うことはなかったが、彼から学んだリコーダーの合奏法は、今でも全国各地の学校やアマチュア合奏団に受け継がれている。
 この頃、串田氏からいただいた『清く美しきもの』の詩とバルテル氏からいただいた合奏指導の論文は、今も私の貴重な財産である。


(3)

  昭和43年の秋には、リコーダーの演奏並びにバロック音楽の装飾法の権威であるフェルディナンド・コンラート教授夫妻が中津川を訪れ、私の音楽の授業と地域の家庭音楽会を参観された。
 家庭音楽会は駒場の成木賢さん宅の座敷ふた間に、近所の人たちが集って行ったもので、幾つかの家族の演奏や、教え子のプロ的なリコーダーの演奏が延々と3時間にもわたって続いたが、コンラート氏も奥様のチェンバロの伴奏でバロックの名曲を演奏された。
 この出会いでは、生徒や地域の人たちが、夫妻の高度な演奏を聞けたことや温かい人柄に接して、クラシック音楽を身近かに感じてくれたという大きな収穫があったが、私にとっては『日本の教師は何故自国の精神文化を基にした音楽教育をしないのか。』という指摘を受けたことが大きな刺激となった。私はこれがきっかけとなって、日本の音楽にもウエイトをかけた音楽教育を進めるようにしたわけである。
 又、当時としては全く新しい試みを温かく見守り、最後まで応援して下さった文部省の花村大先生、教育対談で話し合い、アンサンブルの深さや厳しさを教えて下さったウイーン音楽大学のハンス・マリア・クナイス氏、ハンガリーの縦笛の名手ベーレッシュ・やのシュ氏との出会いも大きな力になっている。
 私が今日まで、授業研究を基本にしながら、リコーダーの全国的な指導活動を続けてこられたのは、地元の先生方や地域の皆さんの大きな支えがあってのことだが、以上のような人たちとの出会いがあってこそ可能になったのである。
 音楽のほんものの良さ深さを知って、そこへ喜んで入っていく姿勢を育てることを目ざした私の40数年にも及ぶ音楽教育は、多くの人々から学び、これを自分のものして生かし切ることだったと思う。


チロル民謡『口笛吹きのポルカ』

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