《 音の回想22 》電子音楽のバッハ
 私の長男は電子工学の専攻で、音楽は趣味のひとつとしてやっている。たしか、大学院の1年生の頃、コンピューターなどの機械の力を借りて、J.S.バッハの組曲ロ短調の中の有名な『ポロネーズ』をカセット・テープに録音してきて聞かせてくれたことがあった。
 大学院も工学部あたりはどこでも大変ハードで、研究室に泊り込むこともあると言っていたので、どこでこうした趣味に使う時間を取っていたのかわからないが、その音楽は電子楽器の音色ながら、バッハが作曲した対位法音楽を楽譜どおりに、忠実に再現していることは確かであった。その頃の私には、どうやってこの演奏を作ったのかよくわからなかったが、何でもコンピューターに音の高さ、長さ、音色などを記憶させておき、修正を加えながら再現してテープに録音を積み重ねていったものらしい。こんなことは趣味を持っている人なら誰でも出来ると言っていたので、ほかにもこうした方法で音楽を楽しんでいた人がいたようである。
 長男は幼稚園から小学校低学年頃まで、地元の音楽教室に通って、ピアノのレッスンを受けたこともあったが、、音楽以外にもっと自分の好きなことがあって、本気で音楽をやったわけではない。ただ、聴音(ピアノなどの音を聞いてドレミで答えたりメロディーを楽譜に書くこと)や短い曲を作って弾くことには関心を示していた。
 小学校の高学年の頃には、私の音楽教育の願いが『学校で教えた音楽が、家庭や地域でも生きて働くまでにしたい。』というものだったことから、わが家でもリコーダーによるホームアンサンブルを試み、地域の家庭音楽会に参加していたが、この時長男はテノールのリコーダーを担当した。不思議なことに彼は自分のパートをすぐ暗記してしまったし、音楽性もなかなかしっかりしていた。中学生になると通っていた学校がロック一色に染まっていて、彼も一時期こうした音楽の世界に入っていったが、しかし、それは長続きせず、家庭にあったバロック音楽、とりわけJ.S.バッハの音楽に関心を示すようになっていった。
 電子音で合成したJ.S.バッハの『ポロネーズ』は私もフルートでよく吹いた曲だったし、彼が大学受験の勉強をしていた頃、ラジオの受験講座のテーマ音楽にもなっていたので、この曲を電子音楽のはじめての作品にしたのは頷けることである。
 ところで、楽器の演奏では、長期間心血を注いで練習をしても、いざという時には、なかなか思うようにいかないものが、現代の電子工学の力を借りて、機械的に音を合成すれば、音色も音量も自由だし、事前にプログラムに仕組まれているのだから間違うこともない。しかし、この演奏を聞いていると、楽譜には忠実で、音の長さやバランスはしっかりしているが、何となくもの足りなさを感じた。それは何か、スピーカーから流れる機械音のせいか、数学的な音の長さと人間が快いと感ずる音の長さとの違いか等、様々な原因を考えてみた。しかし、その頃は私自身に電子音楽の知識も技術もなかったことから、どこをどう変えたら音楽的になるかまでは考えてみなかった。
 長男が就職して半年くらい経った頃、また新しい録音を聞かせてくれた。曲は同じJ.S.バッハのイギリス組曲で、こんどはかなり速いテンポの曲だったが、曲のテンポチエンジもあり、人が演奏する表現にかなりにまで近づいたものだった。
 この曲を聞いてからもう10年近くが経ち、私も最近になってコンピューター音楽をやるようになったが、当時の貧弱な機具を使って、この長大なバッハのプレリュードを、よくここまで打ち込んだものだと感心した。
J.S.バッハ作曲:イギリス組曲第2番より『前奏曲(Allegro Vivace)』

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