音の回想23ハンガリー田園幻想曲
『ハンガリー田園幻想曲』はフルートの名曲で、この楽器の奏者や作曲家として活躍したフラン・ドプラーの作品である。この曲の冒頭のメロディーが瞑想的で、馬子歌を思わせ雰囲を持っていること、二番目に現われるメロディーがハンガリー音楽独特の情熱的で変化に豊んだものであること、更にヨロッパで唯一のアジア民族であるハンガリー人の感情と同じアジア人である日本人の感情に共通するものがあることなどから、この曲は特に日本人に好まれ、演奏回数の多い曲である。
 実は、私もこの曲を聴いて、フルートの音色や表現の豊かさに感動し、この楽器を習うようになったのだが、この時に聴いたレコードは真ん中に赤ラベルが貼ってあったSPレコードで、演奏していたのは、今もフルートの神様と称えられているマルセル・モイーズだった。それはいぶし銀のように練り上げられた美しい音色、朗々として変化に豊んだ実に説得力のある演奏だったことを今でも覚えている。
 それからこの名曲が吹ける日を夢見てフルートのレッスンに通うようになり、遂にこの楽器の専門教育を受けるようになってしまった。しかし、今から40年以上も前の演奏レベルは知れたもので、この曲を音楽的に演奏できる人はオーケストラのトップ奏者か、ごく一部の音大生くらいなもので、とても私の腕に叶うものではなかった。それでも、この曲の楽譜は大切に持ち続け、暇をみては練習をしてきた。
 私がフルートをやりはじめて20年経ってから、こんどは長女がこの楽器を習いはじめ、それから10年たった時に、彼女がこの『ハンガリー田園幻想曲』を演奏することになった。その頃の娘は、演奏会前に限界まで練習し、演奏会当日はいつも体調を崩していたので、この時も大変心配していたが、演奏会の一週間前から扁頭肥大が出て38度5分の高熱となり、3、4日たっても一向に熱が下がる気配もなく、遂に喉が詰まって呼吸困難な状態になってまった。最終的にはかかりつけの医師に相談して、応急処置としてリンゲルを投与してもらって熱を下げたが、演奏会当日は立っているのも困難に思えた。しかし、娘は集ってもらう人に迷惑はかけられないので、どうしても演奏をするという。
 演奏中は、娘がいつ倒れるかと心配で、音楽を聞くといういうな精神状態ではなかった。しかし、彼女は青白い顔ながらキリット目を据え、約90分の演奏を殆どミスなく最後まで乗り切った。この時、私には難曲である『ハンガリー田園幻想曲』をさらりとやってのけた。もう少し表情豊かにのびのびと吹いてくれたらという期待がある一方で、体のことを考えれば、これが限界。最後までよくぞ吹き切ってくれたという安堵感もあり、この二つの気持ちが交錯していた。
 私はこの演奏会以後は、この曲を吹いて見る気にはなれず、もっぱらフルートの名曲を聞く側にまわった。フルートの曲では、いつもは世界的な演奏家にものを聞くが、家内とあれこれ同じようなことを話しながら娘の録音を聞くこともある。
 それから2年後に、もう一度娘の演奏でこの曲を聞く機会に恵まれた。この時はオーケストラとの協演で、地元の中学生のための演奏会だった。この時は娘の体調もまずまずで、演奏表現も以前よりかなり豊かになっていた。
 最近、アメリカのテレビ映画の超大作『ルーツ』を見て、黒人差別と闘いながら祖先の生き方を七代にもわたって、忠実に守り通して大成した家族の実話に感動したが、我が家には意図的に伝えてきたようなものは何もない。しいて言うならば、目標に向けて徹底してやり抜く気概といったものが、知らず知らずのうちに受け継がれているように思う。
 いずれにしても、この『ハンガリー田園幻想曲』は我が家に多大な影響を与えた名曲である。


ドプラー作曲 ハンガリー田園幻想曲

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