『ホッチョセ』とは中津川に伝えられている民謡の曲名のことだが、初夏の頃に山や谷間で聞かれる山時鳥(やまほととぎす)の鳴き声が、この土地の人には『ホッチョカケタカ 』と聞こえ、これが短くなって、『ホッチョセ』になり、この曲名になったと言い伝えられている。
民謡というものは、一般に民衆の生活の中で信仰、労働、娯楽などの目的で生まれ、生活習慣のように歌い継がれてきたものだが、文章化した記録は殆どなく、その源流を探ることは極めて困難な作業である。
私は地域の民謡にも強い関心を持ってきたが、ある時、篠笛でいつも吹いていた『小諸馬子歌』と中津川の『ホッチョセ』とが旋律的に極めて類似性が高いことに気づいた。
音の比較を紙面ですることは困難だが、旋律のおよその骨組みを西洋音階で示すと、小諸馬子歌は『ソ ラー ド レ− ド レ ミ− レミレドー レドラ・・・』であり、 ホッチョセは『ソ ララ レ− ド レミ レ ドレドラ』となっていて。曲のテンポを同じにして演奏してみると誰が聞いても同じような曲に聞こえる。
最近では民謡の学問研究も進み、『奄美六調』を源流とする『佐渡おけさ』の系統と『小諸馬子歌』を源流とする追分節の系統については、およその伝承経路がわかってきたことから、『ホッチョセ』が『小諸馬子歌』が変化して出来たものとすれば、ほかにも何か手ががりがあるいうに思えるのである。
町田佳声氏の『民謡源流考』によれば、江戸時代に碓氷峠の追分宿には旅篭71戸、茶屋18戸があり、一茶の句に『三味線に道失うや落雲雀』があり、西鶴が『都を忘れるほどのにぎやかさ・・・』と書き残していることなどから、ここには、音楽的にも可成り専門的な技術をもった接客女性がおり、この地の馬子歌が三味線を伴った追分節に変化していく条件は十分備わっていたということである。
もう30年も前に古い『ホッチョセ』の録音を聞いたことがあるが、メロディーに重ねて馬子歌と同じように尺八の演奏が重なり、メロディーを支える専門的な三味線の伴奏がついていた。
ホッチョセは歌詞も旋律もなかなか味わい深く、格調高い民謡である。こうした歌詞を生み、メロディーを価値あるもに再創造した背景には、中山道や東山道の宿場町としての地理的条件に加えて、中津川の先人たちが、常に中央の優れた文芸をこの地に伝え、地域文化の向上に尽くしてきた歴史がある。
曲名の横の●印をクリックすると中津川民謡保存会の演奏が聞けます。 『 ホッチョセ 』→●(クリック)
1)ここはナ−山家じゃ お医者はないで ア ホッチョセ ホッチョセ
可愛い殿さを見殺しに ア ホッチョセ ホッチョセ
2)樣とナ− 旅すりゃー 月日も忘れ ア ホッチョセ ホッチョセ
鴬が鳴く 春じゃそな ア ホッチョセ ホッチョセ
3)遠いナ− 畦道 ようきてくれた。 ア ホッチョセ ホッチョセ
裾がぬれつら豆の葉で ア ホッチョセ ホッチョセ
4)美濃のナ− 中津を出て行く時にゃ ア ホッチョセ ホッチョセ
三度見返す恵那の山 ア ホッチョセ ホッチョセ
碓氷峠の追分宿で、この土地の馬子歌が俗謡化し、ごぜの弾く『三下がり』の三味線を伴って中津川に伝えられ、長い時間を経てこの土地の人々によって再創造され、新しい価値を生み出したのが『 ホッチョセ 』の民謡ではないかと考えるのである。この民謡も『佐渡おけさ』が全国に知られるいうになった大正時代の民謡ブームの頃には今の正調の民謡の形が整い、全国的に知られるようになったということである。
最近読んだ地元の民俗芸能保存会の記念誌にも、 ホッチョセ の元の歌は馬子歌から来ているらしいという記述があった。目次にもどる