韓国の教育大学や音楽担当の先生方の招請で、この国に行くようになってから、もう26年近くにもなる。現職の時は夏休みや冬休み、それに5月連休などの短い滞在なので、この国の教育のほんの一部しか見聞きしていないわけだが、それでも年数が重なれば、この国の先生と気心が通じ合えるようになり、最近では本心を聞くことも出来るようになった。この国では先祖代々の墓に案内されれば信頼の証だということを聞いたことがあるが、この経験も持った今では、この国の教育について語っても許されるのではないかと思う。
日本でも韓国のことを書いた書物がたくさん出版されているが、現地の人たち、特に教育関係者は、これ等をあまり信用していないといってよい。もう10数年も前のことだが、日本への留学を終えた韓国の先生から電話をもらったことがあったが、その内容は、私の『学校教育におけるリコーダー指導法』の中の韓国についてふれた文章を読み、はじめてほんとうのことが書いてあったと感謝するものだった。隣国でありながら過去の歴史的経緯から、日本人がこの国の人たちの本心を聞くことは、それほど難しいわけである。
私がこの国の人とかかわる時は徹底して私の著書を研究し、暗記して翻訳できるような教育大学の先生の通訳を通すか、大学で日本語を専攻し、更に日本へ何年か留学したことのある日本語の先生、それに現場の音楽の先生の講習等の通訳は、戦時中の師範学校で日本人と一緒に日本語の教育を受けておられる年輩の校長先生によるものである。いずれも通訳といっても私と日本語の力が同じくらいか、旧漢字を使った文章を書かせたら、とても太刀打ちできないほどの語学力を持った人が多かったので、いつもひとりでこの国に入ったが、不自由さを感ずることは全くなかった。
さて、韓国の教育と日本の教育との最も大きな違いは、戦後の教育改革で、韓国が従来からの儒教精神を守り通したのに対して、日本ではこれを殆ど取り去ってしまったことのように思う。
はじめて韓国に行った時のことだが、春川(チュンチョン)教育大学で学長さんと話をしていると、すぐ横の付属小学校の運動場で、入学して間もない1年生が集会をやっていた。この時はタンブリンを叩いて歌を歌ったり、校長先生の話があったりして、かれこれ1時間くらいはかかったと思うが、子どもたちは、一糸乱れぬ態度で、最後まできちんと立っていた。今から25年前の5月連休だったが、5月頃の日本の小学校1年生なら、教室で先生の話を聞くことがなかなか出来ず、時にはもぐら叩きのような状態で、先生が児童を静止させるのに苦労する状態だが、まず、この違いに目を見張った。この時、学長さんに理由を聞いてみたが、これが例年当たり前のことだということだった。
それから8年後の夏休みに、38度線に近い日本海岸にある注文津(チュムンチン)の小学校で、子どもの生活指導のことが話題になっていたが、内容は小学校の子どもが、学校帰りにガムを買ったという事件のことだった。こんなことは今までに起きたことがなく、教育委員会に届け出るほどの事件だとという話だ。日本でいったら、今から50数年前の私の小学校の頃の感覚である。生活の荒廃というものは徐々に進んでいくもので、日本人の感覚では、もう不感症になっていることでも、儒教精神が脈々と生き続けているこの国の山間部では大きな問題にされるのである。
話は前後するが、今から25年前に、私をはじめて韓国に招請して下さった春川教育大学の故朴在薫先生(教授)が、中津川の私の授業を見にこられ、続いて私達が主催した鳥取での音楽研究大会に参加されたことがあった。この時、約1週間にわたって先生と一緒に寝泊まりをしながらお伴をしたことがあった。先生は平壌師範学校を卒業され、更にソウル音楽大学で勉強をした後、38度線に近い、春川教育大学で教鞭を執っておられた。当時の韓国では、外国への渡航許可を得ることが容易なことではなく、先生はこの時が初めての来日だったので、見るもの聞くものが新しく、特に教育者として、日本人の行動にショックをを受けたと話された。先生は日本で見聞きしたことで、自分に納得のいかないことをひとつずつメモしておいて私に尋ね、理解できたことには◯を打っていかれたが、大阪空港で別れる時に、まだどうしても納得できないことがいくつか残ってしまったと話された。その主なものは、電車に乗った時に老人が立っているのに、学生が席をゆずらず平気で立っていること。教室で生徒の姿勢が悪いのに先生が注意しないこと。生徒の頭髪が乱れていたこと。女性が喫茶店で煙草を吸っていたこと。日本ではスリや痴漢にご注意という看板をなぜ立てるのか、といったものだった。まだまだ疑問に思われたことはたくさんあったようだが、遠慮気味に以上のようなことを話された。先生にとってはタイムスリップをして、時代をいきなり50年先へ進めたような体験だったと思う。
韓国も日本と同じように経済発展の目ざましい時期を経験したが、その間に失われたものも大きいと言われている。10年前にこの国を訪れた時に、ソウルで学校帰りの子どもがフランクフルトをかじりながら歩いている姿を見かけたが、この国の先生の話では、働く母親が増えはじめ、かってはどこにでもあった家庭の教育力が弱まってきたこと。オリンピック開催に伴う自由化政策が裏目に出て、生活の荒廃に拍車がかかったこと等が原因だということだった。しかし、こういったことが韓国全土に及んでいるわけではなく、児童・生徒の生活姿勢を日本と比較すれば格段の差があることは確かである。
ところで、韓国には高麗末期に朱子学が入っているが、現在でもその影響が圧倒的に強く、国や地方教育行政の執行者側でも、近代化・科学の振興・新しい時代・新しい秩序などの標語と平行して、親への孝道、国家への忠誠といった儒教的な標語を掲げており、こうした国家のビジョンを学校でも徹底させているわけである。美人コンテストの垂れ幕に『真善美貞淑賢大会』と書いてあったことからも、お国柄が理解できると思う。この国では礼節が単なる儒教倫理の実践に留まらず、国家・社会の存亡をかけた悲願として重視されており、近年の急速な社会変化の中で、再び国家のアイデンティティーとして再確認されているように思った。
再び学校教育の話に戻すが、小学校(初等学校)1年生が入学間もない時期に長時間きちんとした態度で、人の話が聞けるといういのは、実は就学前の家庭教育の成果だということがわかるまでに、かなりの時間がかかった。これはあたり前のことだから話題にもならなかったのである。この国では、子どもに祖父母3代前(五代祖)までの名前を覚えさせ、徹底した祖先崇拝、親や目上の人に迷惑を掛けないないこと等を厳しく躾けられるようである。前述のように、韓国でも今では家庭の教育力が弱まったと嘆く人も多いが、それでも貧富に関係なく、こうした躾が厳しくされていると言う。つまり、1年生に入学して、先生の話が聞けなかったり、人に迷惑をかけるような子どもに育てたのでは、先祖に申し訳ない、一族郎党の恥だという考えが今でも生き続けているのである。ソウルなどの大都会では、日本では考えられないような、児童・生徒数3000人以上の大規模校がいくつもあると聞くが、日本にあるような生徒指導上の問題は殆どないということだった。
私が授業参観をするためにこの国を訪問したのは10年前の5月連休の時だったが、この時は小学校(初等学校)と高等学校の授業を参観する機会に恵まれた。この国の学校はどこへ行っても、玄関や校長室等に、国旗と大統領や市長の写真、それに国家の目標や学校の教育目標を書いた掲示物があり、こうしたものが額に入れて丁重に飾ってある。更に、学校によっては、全職員の写真・略歴・研究の概要等が掲示してあるところもある。校内を巡視して見て、形の上では国家のビジョンが学校教育の中にまでしっかり浸透しているいうな感じを受けた。勿論、親への孝道、国家への忠誠といった儒教精神が学校でも重視され、これがこの国の道徳教育の大きな柱になっているわけである。
小学校に入って児童に学年を尋ねると、子どもの体位は日本の児童より1、2年くらい小さく感じたが、どの子も明るい表情でしっかり挨拶ができる。教室の後から、ほんのわずかな時間授業を見ただけでも、出て行く時には全員がこちらを向いて一斉に挨拶をする。そして、すぐ前を向き、何ごともなかったように授業が続けられていく。こうしたけじめは日本では考えられないことだ。
時間をかけて参観したのはコンピューターの授業と音楽の授業だったが、どの授業も、児童が積極的に活動したり、発言したりする場面は少なかったが、しかし、静かな落ち着いた雰囲気の中で、先生の指示をきちんと聞き、それに確実に反応していくというものだった。又、どの学校でも子どもの姿勢がしゃんとしていて感心させられた。ここで、韓国の先生が、日本の先生は子どもの姿勢が悪いのにどうして注意しないのかと言われた意味がわかった。『姿勢を正して集中して授業を受ける』という、ごく基本的なことが日本では忘れ去られているのである。学校の重点目標の中に『静粛・集中』という文字が大きく書かれていたので、日常こうした基本的なことを徹底して指導しているのではないかと思った。
又、この国の授業では指導過程における個別化、特に一人一人を見届け励ますような場面は少なかったし、子どもの主体的な活動を引き出す教師の働きかけといったものもあまり見られなかったが、情報化、国際化という点では日本より可成り進んでいた。コンピューターを教育課程に位置付けて、小学校4年生からやっていたし、私立の小学校では4年生から英語を指導し、6年生までに、ある程度の力がつけられるようになっていた。そのほか韓国の小学校には民俗資料の展示室があり、地域の歴史・文化を実際の展示物を見せながら学習できるようになっていた。
特に10年前の韓国訪問は、日本の音楽教師との授業研究会を伴った研究交流であり、5日間にわたって韓国の先生と生活を共にしたことから、今までつかんでいなかった、先生の教育観や生活意識といったものがわかってきた。
儒教精神が根強く残っている韓国では、児童・生徒や保護者が先生を敬う伝統が残されていて、先生の権威は日本と比較にならないほど高く、よほどのことがない限り、教師批判は表面化することはないし、教師の給与も一部の理工系の大企業で働く人たちを除けば、かなり優遇されていることから、教育大学への進学は狭き門になっているようである。更に男子の場合は2年間の教育大学を卒業すると兵役義務が免除されるという特典があるために、この大学に優秀な人材が集まってくると聞いた。私たちが交流した音楽教師は殆どが教育大学出であったが、話の端々に教育としてのプライドのようなものを感じたのは、こういった事情があるからだと思った。しかし、飲食を共にする時などは、みんなユーモア溢れる好男子という感じだった。
韓国では国の教育方針、国民教育憲章、学校教育法等を受けて定められた学校の教育目標を達成していくことが絶対であり、そのことをひとりひとりの先生がよく理解しているようである。何人かの日本語が出来る校長に、指導要領や校長の指示を守らない先生はいるか。と聞いてみたことがあるが、そのことには返事はなかった。少し経ってから、質問の意味がよくわからないが、指導する力の弱い先生はいるが・・・・という返事が返ってきた。この国では国家への忠誠、先輩崇拝といった儒教精神が大きく影響していて、質問したような行為が表面に出ることはないようである。
又、この国では国定教科書を使って授業をすることが絶対で、日本のように補助教材を使って授業をすることは少ないようである。このことは教師の研究意欲にも影響があるように思った。若い意欲に燃えた教師にとっては、定められたことしか指導できない授業だけに飽き足らず、クラブ活動に熱中するものも多いようである。又、仕事は勤務時間内に収め、特別なことが無い限り、日本の研究校のように夜遅くまで学校に残って仕事をするというようなことは少なく、勤務時間内に精一杯努力するという習慣がついているようである。
韓国の先生とは何回も食事を共にしたが、ここにも儒教の影響があって、今回のような日本人と一緒の席では、日本の習慣に従うが、韓国の教員社会では一般の教師が校長と同席して酒を飲むということは許されないし、女教師が煙草を吸うなどということは考えられないことだと話していた。
ところで、私は5月5日の子どもの日の行事にも注目していたが、この日のソウル市の大きな行事のひとつに、『子どもの日善行表彰』というのがあった。これはソウル市内の小・中・高等学校の児童・生徒の中から、生活・学習・スポーツ等で特に努力した子どもを表彰するものだが、印象に残っているのは、年寄りや親のために尽くした。困っている者や弱い者を長期間助けた。貧しさに耐えながらよく勉強したというように、日本では考えられない善行表彰であり、ここにも儒教精神が生きていると実感した。この表彰式は、ソウル市内の小・中・高等学校の全員の校長の前で、ソウル市長がひとりひとりの子どもに賞状を渡したが、この短い間に消防庁音楽隊が子どもの善行に関係した童謡や小学唱歌を演奏して雰囲気を盛り上げていた。子どもにとっては、この表彰が一生の励みになるということだった。
ふたつ目は恒例の子どもの日の特別演奏会が、新装なった韓国最大の芸術の村コンサートホールで行われ、ここでのKBS交響楽団とKBS児童合唱団の合同演奏が韓国全土に放送された。この演奏を私も聞いたが、ステージの上や座席の所々にテレビでお馴染みのアニメの主人公に扮したボランティアの人たちが並んで愛嬌をふりまく中で、韓国のトップクラスのオーケストラと児童合唱団が、子どもに親しみのある名曲を約90分にわたって演奏した。最後に韓国の子どもの愛好曲『アプロ』が演奏されると、会場の親子が一斉に立ち上がって大合唱となり、アンコールにも同じ曲がくり返されて、更に雰囲気が盛り上がっていた。こうした子どものための催しは韓国全土で行なわれていると聞いた。
順番は前後するが、この日の午後に珍しくゆとりが出来たので、ソウル教育大学付属国民学校長 金 公善氏の案内で、国立博物館や景福宮などを見物した。この日はどこへいっても、親が子どもに展示物や建物等の説明をしている姿を見た。日本人の一般的な感覚では遊園地かレストランにでも連れて行くところだが、こういう場所に連れていって、何かを得させようとしているのに感心した。この国にも日本の児童憲章と同じようなものがあって、親はおよその内容を知っているが、日常はなかなか実行出来ないので、子どもの日の意味を考えてこういう所へ連れてくるのだと聞いた。
また、この日は、金校長とサウナに入って、韓国の色々な話を聞いたが、終わり頃にPTAの話も出た。この国では父兄が学校を信頼していて、何でも献身的に協力することが当たり前になっているということだ。どの学校でも子どもの日の前日(5月4日)はリクリエーションを兼ねた小運動会をやることになっており、この日に訪問した小学校には父兄が集まっていて、先生と子どもの昼食を作っていた。又、5月15日は教師の日となっていて、国を挙げて先生に感謝するのだという。教師の日には国民が『国家の繁栄は教育にかかっている』ことを再確認し、国を挙げて教育の充実を図っていく決意を新たにするのだという話も聞いた。この日の行事としては早朝のテレビで前述の『国家の繁栄は教育にかかっている・・・・・』というような大統領演説があり、続いて優秀・功労教職員の表彰を行うが、各学校ではPTA会員の中から1日教師を選んでおいて、それぞれの学級で1時間の授業をやり、親が身をもって教育の難しさを体験し、先生に心から感謝をするのだそうだ。1時間の授業が終わると、父兄手づくり料理で先生に感謝の意を表す昼食会が開かれるということも聞いた。
この時の研究交流会の最後に訪問したのは、国立国楽高等学校だった。この学校は伝統音楽の後継者を育てるための学校である。この学校の校長は韓国の伝統楽器 伽椰琴(カヤクム)を専攻した若さ溢れる人だったが、話の端々から、国楽にかける情熱を感じた。話の内容は、日本の植民地時代に弾圧され消滅しかけていた伝統音楽を、解放後に、この学校の歴代校長が中心になって復元し、体系的な教育によって継承・発展できるまでの実績を挙げてきたのが、この国楽高等学校で、まだ着任して間もないが責任の重さを痛感しているというものだった。
伝統音楽の専門教育を高等学校の時期から実施するというようなことは、日本では考えられないことだが、国家意識の高揚とかかわって、民族学の研究者たちの手で伝統音楽を評価する努力が地道に続けられてきた結果、今日ではこうした教育が市民権を得ているわけである。この学校では週1回、授業の一環として実施されている校内演奏会を聴いたが、演奏のすばらしさと、これを鑑賞する生徒の真剣な態度に心を打たれた。韓国でも国民学校(今は初等学校)や中学校(中等学校)から国楽(伝統音楽)を習っているものは殆どいないということだが、短期間によくあれだけの演奏が出来るようになるものだと感心した。これは私が幾分かの伝統楽器の演奏体験があることから、特にそのように感じたわけである。
ここでは琴に似た弦楽器類、篠笛を大形にしたような横笛、ケーナを小形にしたような縦笛(ピリ)、それに各種の太鼓の二、三人の小アンサンブル、又は、数名の合奏で演奏されたが、生徒の演奏は、微妙な音のずらしや独特な伝統的なリズムを持ち、しかも精神性の高い高度な音楽をつくり出していた。演奏する生徒の表情から、彼等がこうした古典的な国楽の良さ深さを理解し、自分から求めてやっていることがよくわかり、とても感動した。民族のエネルギーが若者の中に息づいているという感じがした。打楽器と旋律楽器の微妙なアンサンブルの良さ、真面目に正座(韓国の正座は日本のあぐらに近い)をして微動だもせず、ひとつの音も聞き逃すまいと真剣に聴いている高校生の姿が今も強く印象に残っている。
この学校では、伝統音楽の良さ深さを若い世代に伝え、発展させていくことが可能だということを、まざまざと見せつけられた。よく考えて見ると、これは指導技術だけでは到底出来ることではない。ハンガリーの授業参観でも感じたことだが、根底に国を愛する心が育っているからこそ、このようなエネルギーが発揮されるのだ。韓国では、どこの学校へ行っても『国家愛』という掲示が見られるし、音楽の授業でもソウル・オリンピックに使われた『アリラン行進曲』が登場したり、国花や校花を主題にした音楽を演奏していた。この国では、日常の教育の中で、愛国心や愛校心を意識的に育てているようである。
さて、最後に韓国の授業を参観したのは昨年の10月のことで、この時も日本の音楽担当教師と韓国の音楽教師との研究交流会の形でソウルの市内の四つの小学校を参観したが、前に記述した時から約10年を経過していて、特に学校の施設・設備に大きな改善がなされていたこと、又、情報化、国際化、それに開かれた学校という面でも意欲的な教育実践がなされていた。
例えばひとつの私立の小学校は、限られたスペースを子どもの側に立って研究しつくしたと思われるほど合理的な新築のオープンスクールで、設備等は国内ばかりでなく海外から購入した備品も設置されており、放送器機等は世界のトップメーカーものが入っていたし、音楽教室は小ステージを備えた階段教室で、音響効果を配慮した建築になっていた。普通教室も立派だったが、各教科の特別教室、集会用の小ホールまで至れり尽せりといった施設・設備で、おそらく日本国内にもこれだけの小学校はないと思った。
公立小学校も古いものひとつと新しいもの2校とを参観したが、屋体のほかに椅子付の小ホールがあったり、コンピューター教室には処理能力が高く大きなメモリーを搭載したパソコンが設置してあって、これからのマルチメディア時代に十分対応できる配慮がなされていた。
又、情報化という点ではパソコンの活用が中心であるが、短期間に徹底した教員の実技研修がなされ、どの先生にも指導可能な力がついているようである。校下の親や地元の技術者を指導者にして、先生が習いながら子どもに指導していくという方法でパソコンの指導をはじめたようで、参観した日にも先生の横に技術者が付き添って、教えてもらいながらPainterソフトで絵を書くことを指導していた。パソコンの利用ということで、授業のない3時から夜には、父兄のための講習が毎日開かれていて、親が必死になってパソコンを習っているということを聞き、これにも感心した。韓国ではパソコンの資格試験が小学生から受験できるようになっており、上級の資格を持っていることが、これからの就職に有利に働くということで、親も子どもを支援するために頑張っているわけである。
国際化という点では、昨年度よりどの学校でも週3時間の3年生から英語の授業がはじまり、6年生までにある程度の会話等の英語力がつけられるように計画されているようであるも。先生自身が日本よりも実用的な英語力が高い上に、各学校の中から得意な先生を選んで会話等の特訓講習を80日間やり、昨年からの英語の授業に備えたといっていた。更に希望する子どもには、放課後の特別活動や授業料払って参加する外人講師による英語講座等があることから、小学校の段階である程度の実用英語が身につくことになるし、子どもたちが外国人と接する機会が多くなることで国際化の素地が育つといっていた。
開かれた学校ということでは、開校2年目という中規模の小学校の放課後の特別活動を参観した。これは1・2年生の間を準備期間とし、3年生から6年までの子どもが自分のやりたい活動を選んで参加するクラブ活動のようなものだが、殆どの活動が地域のボランティアの計画に基づいて実施される専門的な指導で、その種類も多く、英会話だけでも外人講師が2人いたし、スポーツでは空手のような男子のテコンドー、オリンピックに登場するような女子の新体操、音楽ではヴァイオリン、チェロ、フルート、鍵盤楽器、それに伝統楽器カヤクム、この他、数学や理科の専門指導などの活動もあったが、週1回でも4年間続けて、専門家の指導を受けて活動をすれば、卒業までには相当な専門技術や学力がついていくし、学校が可成りにまで地域に開かれているという感想を持った。
音楽教育では、教師の指導を受けてひたむき努力するする子どもの姿が印象に残っているが、施設・設備や先生方の意欲・指導力といったものは大きく前進しているように思われた。合唱指導では授業でも部活動でも一人一人の声がよく引き出されていたし、合奏指導でも授業の中で高度な合奏曲を必死になって演奏していたり、これは外部講師の援助もあるようだが、伝統楽器の打楽器アンサンブル(チャンゴの演奏)やカヤクムの合奏、それに吹いてみた経験から可成り困難に思われるピリ(縦笛)まで子どもが演奏していて、とても感心した。韓国でも伝統文化を尊重する教育が重視されるようになり、日本では殆ど扱われていない、高度な伝統楽器まで子どもが演奏できるようになっていた。
特に韓国の小学校では、どの学校でも合唱指導が盛んで、日本と同じように高度な曲に挑戦しているようだが、ある学校でシューマンの『流浪の民』を部活動の合唱で聞いた。この曲を小学生が歌うのをはじめて聞いたが、独唱や重唱の部分も含めて、可成りにまで歌い込んでいてとても感心した。
終わりに、今まで書いたことと重なる部分もあるが、韓国の教育について、印象に残っていることをまとめておきたいと思う。
1) 教職員に、国家の繁栄は教育の充実以外にないという自負心があり、これが使命感の支えになっている。
2) 教師を敬う気持ちが児童・生徒は勿論、家庭や地域にまでゆき届いていて学校の指導が入りやすい状態にある。
3) 韓国の先生には、価値ある教育理論や実践をしたたかに吸収して自分のものにしていくという迫力がある。
4) 約束ごとをきちんと守り、他人迷惑をかけないことをはじめとして、教師は一般の人より人格者だというプライドを持っている。
5) 若い教師を中心にして、語学力(英語)で日本の教師と大きな格差がり、国際化に対応しやすい環境にある。
6)日本に比べて、学歴による給与格差が大きく、そのため中学校から高等学校までの6年間の苛烈な受験教育が、生徒や教師の心身の健康に悪影響を及ぼしている。この国では1日4時間以内の睡眠時間に留めて、中・高6年間の進学勉強をやり抜けば、大学の予備試験(韓国の全ての大学の入学定員の2倍が定員)に何とか合格出来るが、それ以上も眠るようでは可能性がないという意味で、4当5落ということが言われているほどで、受験勉強が人間教育を阻んでいると聞かされたことがある。今は大統領命令で、表面的には学校の補習授業や塾での受験勉強が禁止されているようだが、大学受験の困難さは以前と変わっていないようだ。以前には中学校や高等学校では、1日6時間の普通授業のほかに、毎日英語2時間と数学1時間の補習授業があり、更に夕方になって帰宅すると夜遅くまで塾で勉強し、塾から帰ってからも次の日の午前2時頃まで勉強をしないと間に合わないということを聞いたことがある。こうした6年間の進学競争に打ち勝つための子どもの健康管理が大変なもので、いかに安く栄養価の高い食品を確保するかで、母親の涙ぐましい努力が続けられているという。
今まで韓国の教育等について、思い出すままに羅列してきたが、勿論この国の教育界も日本と同じように多くの問題を抱えているし、教育にかかわる不正事件がニュースに登場したこともあったので、韓国も日本のように様々事件が起きていることと思う。
振り返ってみると、わが国では、この10年の間に時代に即応した新しい学力観に立った教育が実施されるようようになり、従来の教育からすれば大きな改革がなされたわけである。しかし、改革は必ずしも改善につながるとは言えないし、表面的な形が整えば充実した教育が実現するわけでもない。
よく実情を知らない人から『韓国の教育など、遅れていて参考にすることはない。』ということを聞くことがあるが、私はそうは思わない。むしろ、昔日本にあった教育のよい面が、ここには残されていて、それをしっかり受け継ぎながら、時代に即応した着実な教育改革を図ってきたという点で、学ぶべきところが多いと思う。それは教育における不易と流行の見極めの大切さということのように思う。おわり ここでの音楽は韓国の代表的な童謡作曲家金公善氏の『果樹園の道』と韓国の代表的な歌曲『望郷の歌』を添付しました。この2曲は、ことあるごとに韓国の先生が歌う名曲で、韓国の殆どの人が知っているものです。
金 公善作曲・川上肇編曲『果樹園の道』