2重奏というと、ふたりでそれぞれのパートを演奏して合わせる音楽のことをいうが、この際使う楽器は同じものでも、違うものでもかまわない。気の合った者と二人で音楽が楽しめるという点で、2重奏はとても効果的な演奏の形である。フルートの2重奏、ギターの2重奏、独奏楽器とピアノによる2重奏などは身近かにできる演奏の形である。
ところで、私は音楽教育の中でリコーダー2本による2重奏を基本にし、小人数の重奏を試みてきた。リコーダーはよほどうまくなれば一人で吹いても楽しめるが、初心者のうちは同じような腕の者が支え合って、音を合わせていくことが楽しいものだし、助け合いながら音楽を通じて分かり合っていけるという点で教育効果も高いわけである。
私は欧米のリコーダー曲集の中に最も2重奏が多いことに目を向けて、生徒を指導しながら自分なりのリコーダーテキストを作った。授業の中では2重奏のふたつのパートのどちらかを生徒に割り振り、全員で演奏して曲が仕上がった段階で、更にふたりだけで演奏が出来るまで力を高めるという方法が極めて効果的だったし、そのうちに生徒が新しい曲を求めて自主的に演奏を楽しむようになっていったので、2重奏の試みに自信を強めていったのである。
私の自作によるリコーダー2重奏曲集も2年目を迎えると、世界の名曲を演奏技術の段階を追って配列するように改善し、ついに『2重奏によるソプラノ・リコーダーテキスト』、『2重奏によるアルト・リコーダーテキスト』となり、これが全国的に使われるようになっていった。
当時の生徒の作文を見ると、音を通じて友達とわかり合い、放課後も家へ帰ってからも、友達と2重奏を楽しむ様子が書かれているが、音楽の楽しさや深さを自分たちで見つけていけたという点で、この2重奏の着眼点はあたっていたように思う。2重奏を基本にしたリコーダーの指導が全国的な広まりを見せ、ついに私のリコーダーテキストが教え子の演奏による範奏レコードになり、このレコードのジャケットに串田孫一先生が次のような文章を書いて下さった。『アンサンブルを通して、子どもたちを人間的にも成長させたい。』という私の願いをよくご理解下さって、温かいご声援をいただいた先生に、ここで改めて深く感謝の意を表する次第である。
2重奏 串田孫一
午からの、机の前の時間が妙に速くたって、学校帰りの男の子たちの一団が賑やかに通り、読みかけの少し厄介な本を又10ページばかり読みかけた頃に、笛の音が近付いてくる。私は傍らの窓を細めにあけ、その音に耳を傾ける。女の子がふたり、肩を並べて笛を吹きながらやってくる。
彼女らは小学生である。その小学校で音楽の先生がどんな風に笛を教えておられるのか、私は全く知らない。勿論、その先生にお目にかかったこともない。しかし、このふたりの少女の、いかにも仲よく吹く笛の2重奏をこうして窓辺で聴いていると、少なくともこのふたりは、それとは気付かずに、音楽の一番大切な事柄を素直に受け取っているように思えた。もしそうでなければ、私は、明日はきっと音楽のテストでもあって、彼女たちは2重奏をやらされるに相違ないという想像をしただろう。
それは、鴬の声が一段と冴えてきた早春、まだ日暮れが早く訪れる頃であったが、その後もこのふたりの仲よしが笛を吹きながら帰って行くのを何度か見かけた。
ところがある日、いつも一緒だった片方の少女の姿が見えず、一人で、途切れ途切れに笛を吹きながら帰っていくので、急に気がかりになり、煙草を角の店まで買いに出ることにして、その子に追いついて、いつも一緒の友だちはどうしたの?と訊ねた。遠くへ引っ越したので転校したのだと答えた。一緒に笛が吹けなくなって寂しいねと私は言ったが、それには答えはなかった。
彼女の笛はそれから聞こえなくなった。聞こえなくなったので、私の部屋の窓から見える道を通っているのか、それとも別の道を歩くことにしたのか、それは分からない。
ふたりいれば、そしてふたりともある程度吹ければ笛の2重奏は勿論できる。けれどもそのふたりが仲よしでないと、2重奏も明るく響かない。高く低く、もつれるように、また離れ、殆ど平行して飛ぶ二匹の蝶のように、そういう映像の浮かんで来るような音楽にはならない。下を向き、石でも蹴って行くような、俯向いた音色になって行く。
私でさえ、楽器の音色から、それを演奏している人の心の状態が分かることがあるから、音楽の先生は、その音色からもっと深く生徒たちのその時々の気持ちを受け取ることが出来ると思う。
私は寂しい気持ちをそのまま笛に託したような音色も勿論嫌いではないが、だが、ふたりで吹く笛の音がちぐはぐであるのは気がかりである。人間には憂いはつきものであるし、憂いが軈て輝きはじめる光を一層水々しく高貴なものにするとは思うが、2重奏は明朗な音による対話でなければならない。2重奏の中では、明は必ず暗を、明へと導く力を持っている筈である。これは理屈ではなく、ふたりで笛を吹いた経験のあるものは、みんな知っていることで、音楽の優れた力をそこに発見するだろう。
私は中津川の田中吉徳先生の指導を受けている人たちの笛をもう何年も聞いてきた。テクニックの巧さもすぐそれと分かるが、音楽へ自分の心を託しつつ、その心を、自分の出す音色によって清らかなものにして行くその素直さが、何とも羨ましい。
テレマン作曲:2本のアルト・リコーダーのためのソナタ第6番より
Affettuoso、Presto
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