《音の回想15》ベルリンのリコーダー・オーケストラ
リコーダーは、古くは有史以前のエジプトまで遡ることができるヨーロッパ生まれの縦笛で、小学校や中学校の音楽の授業やクラブ活動などで使っている縦笛も同族の楽器である。ところで、私は早くからこの楽器の指導法を研究してきたことから、この楽器との付き合いをはじめてからもう40数年にもなる。
このリコーダーには大きさの違う8種類の同族楽器があり、小学校3年から習いはじめるソプラノ・リコーダー、小学校高学年や中学校で使いはじめる、ひとまわり大きいアルト・リコーダーのほか、ソプラノより小さく高い音が出るソプラニーノ・リコーダー、更に小さく、ソプラノの1オクターブ上の音が出るクライネソプラニーノ・リコーダー、アルトより大きく、ソプラノの1オクターブ下が出るテナー・リコーダー、テナーより大きく、アルトの1オクターブ
下が出るバス・リコーダー、それよりも大きく、テナーの1オクターブ下が出る大バス・リコーダー、バスよりも1オクターブ下が出るコントラバス・リコーダー(グレートベース)
があり、最近はこの殆どの楽器が日本国内で製造出来るようになったので、国内の学校や一般のアマチュアー合奏団などで、この全種類のリコーダーを使った大合奏(リコーダー・オーケストラ)が可能になっている。
さて、今から34年も前のことだが、リコーダーの演奏と授業参観を兼ねて私の勤めていた中学校へ来られた故大島典雄先生が、私の指導していたリコーダーの合奏を参観してから、西ベルリンに、この種の合奏を本格的にやっている学校があるという話をされたことがあった。氏はそれから間もなく、西ドイツのフランス国境に近いザールブリュッケン音楽学校の教授として現地に赴任された。
しばらくして、大島先生からベルリンのノイケルンという所に、ルドルフ・バルテルという先生がいて、リコーダーばかりの大合奏団を育て、ヨーロッパ各地で演奏会が持てるまでになっているという内容の手紙をいただいた。
私はそれまでに、リコーダーによる小人数のアンサンブルの指導については、自信が持てるようになっていたが、この楽器の大合奏は未知の世界だったので、何とかしてこの学校を訪問し、指導の実際をこの目と耳で確かめ、指導法を学びたいと考えていた。しかし、当時は一般の教員が海外研修に出かけるというようなことはとても考えられないことだった。
しかし、『念ずれば通づる』ではないが、この機会は意外に早く訪れた。昭和46年になってから、突然ハンガリーの音楽教育研修団のメンバーに誘われたのを機会に、途中、自分だけ集団から離れてベルリンに渡り、ノイケルン青少年音楽学校で、リコーダー・オーケストラの演奏を聞く機会を得たわけである。
この学校にはリコーダー合奏の大家ルドルフ・バルテル校長がおられ、ここで彼自身の指揮によるリコーダー・オーケストラ(大合奏)とリコーダーによる小人数のアンサンブルを聞かせてもらったが、練習というよりは得意な曲を聞かせてもらうというものだった。大合奏の演奏をしてくれた生徒は、中学2年生から高校3年くらいまでの年代で、希望者が小学校2年生頃からこの学校でリコーダーの個人レッスンを受け、中学2年頃になってから、大合奏のメンバーに加わるようだった。日本とはかなり条件が違うが、週1回程度のクラブ活動的なものと考えれば、練習時間が多いわけではないが、演奏を聞いて、音程の確かさや豊かな表現力等から、基礎的な指導に大きな違いがあることを感じた。
大合奏ではベートーベンのピアノのためのエコセーズを編曲した『スイス民謡の主題による変奏曲』が今でも印象に残っているが、各種のリコーダーの音程がきちっと合わせられた、純正調に近い研ぎ澄まされた美しいハーモニー、それにパイプオルガンのレジスターの組み合わせを参考にした合奏法で、ダイナミクス(強弱)の変化もしっかりついた見事な演奏だった。わざわざベルリンまで出かけた価値が十分にある演奏だと思った。
ベルリンのリコーダー・オーケストラは、私に新たな課題を与えることになり、後の授業やクラブ活動の大きな到達目標になったが、その後2年経った頃にはクラス授業でもこの大合奏が可能になっていた。ただ、当時は国産のリコーダーはソプラノとアルトだけで、低音の出せるテナーやバスを確保することが容易ではなく、私費を投じて、月賦で芦屋の大阪楽器からこの種の楽器を購入していた。大阪楽器の小林健一さんは私の経済状態を察して、月賦が終わらないうちに残りを免除して下さったり、又、何本かのバスリコーダーを貸して下さったが、今から思うと、この援助がなかったら日本でのリコーダー・オーケストラは実現出来なかったと思う。
ノイケルンでリコーダー・オーケストラを聞いてから30年余りの歳月が流れるが、苦しい経済状態の中で、思い切ってベルリンに行き、実際の演奏を聞いたことやバルテル校長の『リコーダーの合奏指導法』の著書をいただいてきたお陰で、まず、自分の学校でリコーダー・オーケストラが実現し、続いて日本各地に、この合奏法が広まっていったわけである。今でも思い出して『スイス民謡の主題による変奏曲』の録音を聞くことがあるが、その度に当日の情景がありありと思い出されるのである。
5月のベルリンは日の出が遅く、朝は肌寒さを感じたが、教室で見る子どもたちは、明るくのびのびとしており、バルテル校長の穏やかな指揮で演奏されるリコーダー・オーケストラの響きは、研ぎ澄まされた重厚なハーモニーを作り出していた。
ベートーヴェン作曲「スイス民謡の主題による変奏曲」より」抜粋
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