《音の回想16》ザルツブルグの思い出
音楽データ2曲は文末にあります。
ザルツブルグはオーストリアの北中部に位置する、人口15万人ほどの街だが、私はここを2度ほど訪れている。最初は東ローマ駅から電車に乗ってインスブルック経由でこの街に入り、2回目にはミュンヘンからバスで入った。いずれも随分前のことだが、この街のルネッサンスやバロック様式の古い建物があたりの景色に溶け込んでいて、ここにには歴史の重さを感じさせずにはおかない何かがあると思った。
この街にはモーツァルトの生家があり、ひとたびここへ足を踏み入れると、至るところでモーツァルトにかかわる記念碑、土産物といったものが目につく。当然のことだが、私はこの街で演奏される音楽に強い関心があった。今でも印象に残っているのは、2回目にこの街を訪れた時に聴いた演奏のことである。そのひとつはモーツァルトがハ短調ミサ曲K.427番を自ら指揮したとというサンクト・ペータース教会で、彼のミサ曲を聴いたこと。もうひとつはレオンタイン・プライスの歌うアリアを祝祭劇場で聴いたことである。ここでは、ほかにも色々な音楽を聞いているが、このふたつが強烈に印象に残っている。
演奏会で聞くミサ曲も優れたものを聴けば感動することは確かだが、本場の教会で聴くミサ曲は又格別である。数々の宗教絵画や彫刻の粋を凝らした教会のドームの中で、しかもモーツァルトゆかりの教会で聴くミサ曲は、荘重で人の心を揺さぶる何かがあった。それはキリスト教に特別な関心を持たない人の心まで動かさずにはおかない力であり、トルストイが『クロイツェルソナタ』の中で『音楽は自分の現実を忘れさせ何か別の状態へ運び去ってくれる。』といった心境と同じものだと思う。更に宗教的な雰囲気を高める教会のドームの中だからこそ、感情がいやが上にも高められるのだと思った。集っている人たちは、この教会で敬虔な祈りを捧げ、神に一歩一歩近づく心境になるのだと思った。
レオンタイン・プライスの歌は最初がヘンデルの歌劇『ジュリアス・シーザー』の中のアリアだったが、どの曲もその音楽的な表現力は凄ましいもので、彼女の練り上げた歌声は、声楽家としては限界に近いピアニッシモもよく聞き取れたし、フオルティッシモはピアノ伴奏が聞き取れないほどの迫力だった。ロシアのバス歌手シャリアピンが日比谷公会堂で歌った時のことを書いた文章を読んだことがあるが、実感はこういうものだと思った。
ところで、先日、衛星放送の『ステレオ・グラフイック』で、ザルツブルグの風景とモーツァルトの音楽とを重ねて放送していたが、この時モーツァルトの音楽とこの街の風景とが、いかによくマッチするかということを実感した。それは、あの『サウンド
オブ
ミュージック』の映画にも登場した風景だが、序曲『後宮からの誘拐』、『ホルン協奏曲二長調』、『セレナードト長調』などの、おなじみのモーツァルトの名曲をバックに、次から次へと移動していくこの街の風景は、どれも芸術的な絵画を思わせるものだった。
私がこの街を訪れたのは2回とも夏だったので、中世の街並の遥か向こうには、霞がかかったアルプスの山々が聳えていたし、『サウンド
オブ
ミュージック』の舞台にもなった広々としたミラベル庭園は、瑞々しい緑の芝生に赤い花の輪がくっきりと描かれ、後ろに佇むしゃれた宮殿の建物と調和して、17世紀ヨーロッパ庭園の威容を誇っていた。また、アルプスの山並を背にしたホーエンザルツブルグ城が旧市街の向こうにくっきりと浮かび上がっていた。旧市街の中心通り、ゲトライデ通りの中央にはクリーム色と薄いブルーに彩られたモーツァルトの生家があり、この中も見学したが、正面の4階あたりから両端が赤で真ん中が白いタスキが掛かっていて、これがオーストリアの国旗を象徴するものだと聞いた。
テレビの画面は、続いて夜のゲトライデ通りの商店街と、真中に大きな噴水のあるレジデンツ広場を写し出した。瀟酒な雰囲気の商店街は今も変わっていないし、軒先に飛び出た各店独特な金工冶金による看板の傑作も昔のままだった。また、彫刻の傑作と言われるこの噴水が、薄明りに照らされて幻想的な雰囲気を出しており、これも私が訪れた時と同じだった。
最後の映像は、これも17世紀に建てられたという、夏の別荘ヘルブルン宮だっが、ここで子どもたちのオーケストラの練習を見学したことを思い出した。曲のことは忘れたが、広々とした芝生の中で、中学生から高校生くらいの子どもたちが、心から演奏を楽しんでいたこと、指揮者が席を離れた時に、小鳥がやって来て譜面台に止まったが、指揮者と子どもたちが笑顔でこの小鳥が飛び去るのを待って、又、練習が再開されたことを覚えている。自然と音楽を愛する子どもたちの純粋な心が読み取れるようで素晴しい光景だった。
あれからもう21年の歳月が流れ、改めてザルツブルグの風景とモーツァルトの音楽を重ね合わせて聞く機会に恵まれたわけだが、これほどまでに、音楽とこの街の風景がマッチするとは思わなかった。小学唱歌に『昔の音やこもるらん』という歌詞があったことを覚えているが、ザルツブルグにはモーツァルトの音楽がこもっているような気がした。さすが天才のなせる技だと感心させられた。音楽はその土地の気候風土を反映するものに違いないという実感である。
モーツァルト作曲 ホルン協奏曲二長調 第一楽章