音の回想3《三色すみれ》
 フルートを専攻している長女が、地元の文化センターで演奏会を開いたとき、最後のアンコール曲に、A.マクベスが作曲した『三色すみれ』という曲を演奏する予定にしていたが、この曲は演奏されずに終わってしまった。
 実はこの曲は今から60年以上も前に、父がヴァイオリンで弾いて楽しんだ、当時の映画音楽で、この曲はきちんとしたピアノの伴奏がついたヴァイオリンの小品として楽譜が出版されているものである。
 父は師範学校を卒業すると、恵那郡(岐阜県)の南部の上村尋常高等小学校に勤めているが、当時、この学校に何人かの同年代の若い先生がいて、放課後になるとテニスをやったり、書道の練習をしたりしていたというが、この学校の先生の中にヴァイオリンを習っている人があり、この人の影響で、この楽器をやるようになったようである。今も家に何冊かのホーマンのヴァイオリン教則本や春秋社の音楽全集が残されているし、私が中学生の頃に古い荷物を整理していたら、クライスラーの演奏したドルドラの『スーベニール』や彼の作曲した『愛の喜び』等の古いレコードが出てきた。こうしたものからも、当時の父の音楽に対する関心を察することが出来るが、60年以上も前という時代を考えると、相当な熱の入れ方だったと思う。
 子どもの頃にはヴァイオリンでほかの曲を聞いた覚えはないが、この『三色すみれ』の曲だけは何回か聞いたことがあるので、この曲は父のよほどお気に入りの曲だったようである。ハーモニカとオルガン以外の楽器の音を聞く機会がなかった子どもの頃に聞くヴァイオリンの音色は、この世にはない甘美な異国情緒を思わせるものだったし、楽器にさわるのも怖いような、父の宝物のような感じを持っていた。しかし、このヴァイオリンの音も戦争が激しくなると再び聞くことが出来なくなってしまった。 この ヴァイオリンは今でもわが家に保存されているが、楽器の中を覗いてみると底板に『Umeo Suzuki No368 1930』と書いてある。父はこのヴァイオリンは百円で買ったといっていたが、今から60年以上も前のことであり、その頃は世界恐慌が日本にも波及して、不況が一段と深刻化した時代だったし、結婚して家庭を持ってから、2ヶ月分もの給与をはたいてこの楽器の買うというようなことは、よほどの執念がないと出来ることではないと思った。
 父は農業の傍ら建築大工のを営む家で育っているが、家計の苦しい中で兄弟も多かったことから、小学生の時に僻地の寺に預けられたり、尋常高等小学校を卒業すると、進学を断念して、大阪の百貨店へ小僧 に出されたり、関東大震災の頃には、一時、東京の本屋に勤めたこともあったと言っていた。こうした間に苦学を重ねて師範学校の二部二年に転入し、教師の道を歩んだわけある。こうした経歴から師範学校を卒業して教員になり、はじめて安定した生活の中でヴァイオリンを習い、当時流行した外国映画の主題歌『三色すみれ』の曲が弾けるようになった時の気分はどんなものだったか、想像に余りあるものがある。恐らく文化の最先端を行く心意気だったと察せられる。いずれにしても、この『三色すみれ』の曲は父の青春の歌だったのである。
 話はもとに戻るが、父にこの曲を長女の演奏で聞かせてやりたいと考えたのは私たち夫婦の考えによるものだったが、娘はもちろん私たちの意図を汲み取ってくれて当日の演奏会に備えてくれた。しかし、父は演奏会の少し前から体調を崩してこの演奏会には出かけられず、『三色すみれ』の曲は演奏されずに終わってしまった。
 それから1年以上も経って、そのことを忘れかけいた頃の父の誕生日に、長女から一本のカセットテープが送られてきた。それは紛れもなく娘のフルートと友達のピアノ伴奏による『三色すみれ』の演奏だった。
 

アラン.マクベス作曲:三色すみ
カットの絵は荒田明子さんによるものです 
(上の曲名をクリックすると演奏が聞けます) 

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