《音の回想 19》宣明会児童合唱団

 韓国の宣明会児童合唱団は、1960年に、音楽的な才能をもった恵まれない子どもたちを援助するために作られた合唱団だが、第4代の指揮者・指導者尹鶴元氏の時代の13年間に、世界的な評価を受けるまでに実力を高めている。私はこの時代に、この合唱団の練習を2回ほど参観したことがある。はじめてこの合唱団を訪問したのは、もう26年も前のことで、春川教育大学へリコーダーの実技講習に行った帰りに、金浦空港の近くにあったこの合唱団の練習場を訪れた。その当時は、日本で宣明会児童合唱団を知っている人は殆どなかったが、この合唱団は韓国内は勿論、交流のあった諸外国からも高い評価を受け、レコードも2枚ほど出ていたが、当時の韓国では外国人に指導法を公開することは困難な状況であった。しかし、指揮者の伊氏の作曲の先生(延世大学音楽科主任教授朴在烈氏)の兄が私を招請して下さった春川音楽大学の朴在薫教授だったことから、私は例外として、この合唱団の練習を見せてもらうことができた。
 練習は韓国の昔の離宮の建物を使っていると聞いたが、伝統的な装飾を凝らした門をくぐると、真もなく清々しい無伴奏の合唱が聞こえてきた。この練習場は空港へ通ずる道路脇にあったので、時々この合唱がかき消され、車の騒音が止むとまた美しい合唱が蘇ってくるという感じだった。案内して下さった朴在薫教授は指揮者と旧知の仲らしく、練習室に入ると曲の途中で練習が止められ、早速挨拶を交した。韓国では挨拶が極めて丁寧で、客が何をやる人で、何の目的で来韓し、ここへ何の目的で訪れたかなどを詳しく話すことが習慣らしい。ここでかなりの時間がかかったが、子どもたちは笑みを浮かべ、時々『…ネー。』という声を出して頷きながら話を聞いている。本当に礼儀正しい。
 挨拶が終わると、外へ聞こえていたパレストリーナの無伴奏合唱曲の練習が再開された。日本の子どもと比べて体格が小さく貧弱な感じを受けたが、その声は洗練されていて透明度の極めて高いものだった。国状を予想して指揮者がかなりスパルタ式に訓練しているのではないかという予想に反し、体格は貧弱でも子どもたちの目は輝き、ここには音楽の深さを求めていきいきと歌う姿があった。指揮者が子どもたちの心をしっかり掴み、自分も音楽を楽しんでいるという雰囲気の練習だった。しかも清潔な音程の確保、それぞれのパートの音楽的な表現や、各パートの重なりのバランス等には厳しい要求が出され、納得のいくまで練習をするという感じで、作曲家の時代様式を踏まえた本格的な表現を作り出そうとする気迫に満ちたものだった。ここには子どもだからという妥協は全く感じられなかった。続いて、2重唱を含んだモーツァルトの合唱曲や児童合唱でやるには極めて高度なベートーベンの『アレルヤ』の練習を見せてもらったが、合宿して練習するという恵まれた条件が整っているにせよ、これだけの子どもたちのやる気と、音楽性の高さに驚異を持ったのである。
 それから何年か経ってから、この児童合唱団がBBC放送曲が主催したヨーロッパ放送連盟主催の世界合唱コンクールで優勝し、この記録はアジア地域の国としては、はじめての快挙だということを聞いた。間もなくこのコンクールを記念するレコードを戴いたが、このレコードにはA面に朴在烈氏をはじめとする韓国現代作曲家のオリジナル作品、B面にはスキャットで歌うヴィバルディの合奏協奏曲「四季」より『春』第1楽章、ビゼーの『ロマンス』、ヨハン・シュトラウスの『トリッチトラッチポルカ』等が入っていた。前述のコンクールに参加したというA面の現代曲は、児童の演奏としては限界と思えるほど高度な難曲を見事に歌っている。子どもの発達段階を考えると、何もここまでやらなくてもという教育者の批判もあると思うが、実際の練習をじっくり参観すれば、これが指揮者の強制ではなく、子どもの音楽的な要求を掘り起こし、子どもと一体となって作り上げた児童合唱の究極の世界だということが理解できる筈である。
 この合唱団の指揮者だった伊鶴元氏は延世大学の作曲家を卒業してから、この合唱団を指導してきたが、彼は自国の子どもの体質に合った発声法や児童合唱の指導法を研究するために、アメリカの大学院に留学したり、イギリスのウエストミンスター聖歌隊で合唱指導法を研修したり、更に世界的なロジェワーグナー合唱団にも体験入団して、専門的な磨きをかけたと聞いている。彼の発声法は世界各地の児童合唱団の発声法を参考にして、彼自身の指導体験から生み出された、自国の子どもの体質に合った彼独特のものだが、今では伊氏の教えた大学の卒業生等によって韓国内にこの発声法が広められているようである。又、合唱におけるアンサンブルの基本は、子どもたちにパレストリーナのようなアカペラの曲で、純正調の研ぎ澄まされたハーモニーを体得させることだと思った。これは朴在薫先生に聞いた話だが、指揮者の伊氏が研修のため長期間アメリカに出張することになり、その間の合唱団の指導者を誰にするか悩んだ挙句、バイオリンを専攻した優れた耳の持ち主を選んだということだが、厳しい音程感を追求する彼の合唱指導の信念が窺える話である。
 私が2回目にこの合唱団を訪問したのは今から13年ほど前のことで、この時は当時名古屋音楽大学の助教授だった楠 三雄先生のたっての依頼もあり、この合唱団の参観に焦点を絞ってソウルに出かけた。この時は指揮者伊氏の作曲の先生である朴 在烈教授に通訳と案内役をやっていただき、伊氏に直接話を聞くための懇親会も設営していただいて、大変充実した研修をさせていただいた。この時は既に宣明会児童合唱団が世界的に高く評価されていたこともあって、合宿施設を伴った練習場が市街地の便利な場所に建てられ、管理事務所も設けられた万全な施設・設備で練習が出来るようになっていた。
 この時は夏休みだったが、4月に入団したという国民学校(小学校)低学年グループの練習と、世界各地で活躍している上級クラスの練習を参観した。ここでまず気づいたことは、前に来た時と比べて子どもの体格が一段と向上していたこと。冷房が完備した練習室では、発声専門のトレーナーが一人一人の子どもに付き添って発声指導をするようになっていたことだった。
 ここでの練習は前述の低学年グループからはじまった。曲は韓国のわらべ歌をカノン(輪唱)風にアレンジしたものだったが、夏休みのこの時期までに、一人一人の発声がかなりしっかりしたものになっていたし、何よりも正確な音程で歌っているのに驚かされた。韓国ではキリスト教と仏教が半々ということを聞いていたが、教会の聖歌隊が全国各地にあり、ここで認められた子どもたちが、この合唱団のオーディションを受けて入ってくるようである。日本の児童合唱団とはかなり条件が違うが、それにしても、よく訓練したものだと感心した。又、発声練習では先に述べたトレーナーの先生が、一人一人の子どもを抱きかかえたりして声を出させ、徹底した訓練がされるようである。
 続いて色々な母音による上級クラスの発声練習がはじまった。この段階の微妙な声の変化は、私の専門分野ではないので、分かりにくいところもあったが、個別化して短時間に一人一人の発声の欠陥を指摘し、声の質を変えていく指導力は見事なものだと思った。この日の上級クラスの練習は新曲でロッシーニの歌劇の部分を編曲した8分の6拍子の速い曲だったが、読譜力は日本の音大生に匹敵するものだと思った。
 練習の最後に、私たちのために日本の小学唱歌『ふるさと』を日本語で、『スイスのヨーデル』と『アリラン』を韓国語で歌ってくれた。いずれも子どもの合唱というようなものではなく、洗練された芸術音楽を目の当たりで聞いたという実感だった。『ふるさと』は機械的な3拍子の無味乾燥な歌声しか聞いてこなかった私にとって、音楽表現の追求のしかたで、単純に思えるこの曲をここまで音楽的に高め得るという可能性を知らされた思いがした。
 一般の音楽教育では様々な制約があることは事実だが、教育的配慮の名を借りてどうしても専門性が疎かになりやすい。ここでの練習を参観して、楽しさの中に本物を深さを求める厳しさがない限り、音楽に感動し、これがいつまでも子どもの生活に根づいていくようにはならないと思った。
 2回目にこの合唱団を参観してから間もなく、指揮者の伊さんはこの合唱団を退いて、大人の合唱団を育て、この合唱団が又世界のトップクラスの実力にまで成長しているという話しを聞いた。それからしばらくは、この合唱団の情報が入ってこなかったが、昨年末に韓国の知人から新しいCDレコードを送っていただき、今も宣明会児童合唱団の伝統がきちんと受け継がれていることがわかった。

 尚、ここでは著作権上の問題があって、生の演奏を紹介することはできませんが、下記に電話等で問い合わせていただれば、CDレコードを入手することが出来ると思います。

WORLD VISION CHILDREN'S CHOIR(宣明会児童合唱団)

住所:711-11 NAIBALSAN-DONG KANG SEO-KU SEOUL KOREA(大韓民国)
TEL:(02)662-1803 FAX:(02)661-2568 (02はソウルの局番)

《現在入手できるCDレコード》
1) Lied And Children's Song,Korean Folk Song
(上記はBBC主催世界合唱コンクール優勝当時のもの)
2) World Folk Somg Festival
(最近の録音)

目次にもどる