《音の回想6》四季の音
騒音公害が問題になって久しいが、この頃はどこへ行っても大なり小なりの騒音があって、よほど山奥へ行くか、離島へでも行かない限り自然の音を味わうことはできない。今、私は高速道路脇に住んでいるのだが、徐々に騒音が増してきたので、今では可なりの騒音に対しても不感症になっている。音に対する感覚とか感性といったものが、徐々に失われていった結果、何とか抵抗なく過ごせるようになっただけのことである。
このごろ、ふと子どもの頃のことを思い出すことがあるが、この時、その頃の情景とともに、懐かしい自然の音が蘇ってくる。
あれは早春、確か小学校4年生頃だったと思うが、板切れを十文字に交わらせた小さな水車を作って近くの小川に仕掛け、これを毎朝見に行ったことを覚えているが、猫柳の枝が凍りついた水滴の重さで垂れ下がっている頃、小川のせせらぎは、チョロ チョロと聞こえるが、凍りが溶けて水が緩んでくると、だんだん勢いを増してきて、ザー ザーと聞こえる。チョロ チョロからサー サー、続いてザーザーという音の変化である。
やがて、春一番のなま暖かい風が、いきなり、かたことと戸を揺らすようになるともうすぐ春、鴬がどこからともなくやってきて鳴きはじめたが、最初に聞こえてくる鳴き声は、ケキョ ケキョであり、ホー ホケキョと鳴くまでには、可なりの時間がかかったように思う。続いて、麦畑で雲雀のさえずりが聞こえてくる。子どもの頃に住んでいた家の前が一面田圃だったので、この鳥の姿をよく見たものだが、雲雀はいきなり垂直に空高く舞い上がって、ベシャ ベシャとかチィーチク チィーチク・・・・・・とさえずり、この鳴き声が終わると、物が落ちてくるように地上へ降りてくる。ほんとうの雲雀はハイドンの弦楽四重奏曲『ひばり』の、のどかさとはかけ離れたものだ。
ところで、家の裏には小高い丘があり、ここの頂上に大きな石碑が立てられていた。子どもの頃に忠魂碑だと聞いていたので、これには戦没者の名前が刻み込まれていたように思う。この場所には杉の木の大木、樫の木、それに松の木等が何本か立っていて、夏が近づく頃から色々な蝉の鳴き声が聞こえていた。よく蝉の抜け殻が落ちていたので、ここで羽化した蝉もたくさんいたに違いない。
梅雨開けの頃だったと思うが、最初にジーッと鳴くニイニイ蝉の鳴き声が聞こえてくる。この蝉は北 社夫の随筆によると、芭蕉の『しずかさや 岩にしみいる蝉の声』に登場する蝉らしい。ニイニイ蝉より少し遅れて、こんどはヒグラシが登場する。ヒグラシは朝夕の薄暗い頃に鳴くので、この蝉の鳴き声でおよその時間がわかったものだが、それにしても、もの悲しく哀れさを感ずる鳴き声である。
夏も真っ盛りになると、油蝉のけたたましい鳴き声が響きわたり、暑さを一層かきたてるが、自然の音に支配されて、いたたまれなくなった時に聞こえてくるアイスキャンディー屋の鐘の音が人工音でありながら、一服の涼しさを感じさせ、この音も当時の自然によく溶け込んでいたように思われる。
やがてツクツクボウシの鳴き声が聞こえてくると、もう秋の気配が漂ってくるが、蝉の季節はまだ終わっていない。最後に登場するのはチィチ蝉である。これは 10月近くになっても、鳴き声を聞くことがあるほどだが、山を歩いていると、いきなり、チッ チッとか細い鳴き声が聞こえてくるのがこの蝉だ、確かに裏の杉の木の高いところでも聞いた覚えがある。
秋になると稲を刈るザック ザックという音、脱穀機の唸る音、特に発動機の破裂音があたり一面を支配するが、澄みきった青空を飛ぶ鳶の『ピーヒョロロ ピーヒョロロ』という鳴き声も季節を告げる自然の音だった。又、秋は何といっても虫たちの共演がハイライトだ。布団の中で息を殺して聞いた虫の音は、コオロギ、鈴虫、松虫、キリギリス、ハタオリが主なものだったが、もの悲しいコオロギの鳴き声と、だんだん近づいてきて、いきなりスイーチョンと甲高い声をたてるキリギリスの鳴き声が特に印象に残っている。
冬になって雪が降るようになると、ヒワ、アトリ、ツグミなどが山から降りてきて、様々な鳴き声が聞かれるようになるが、時には、こうした鳥をねらうかのような百舌鳥の鋭い鳴き声があたりの空気を震わせる。雪はしんしんと降りしきり、大粒なものは パサッ パサッと微かな音を立てる。こんな夜には、よく狐が鳴いて通った。雄はコーン コーンと鳴き、雌は無声音でシャー シャー
と鳴いて通り過ぎたが、布団にもぐり込み、息を止めて通り過ぎるのを待った。どちらかというと珍しい雌の鳴き声が怖かったことを覚えている。
冬の音はまだたくさん覚えているが、大晦日の餅つきの音や除夜の鐘の音は、年の瀬を告げる大切な音だ。お寺の鐘の音は毎日聞いていたが、大晦日の除夜の鐘は特に意識的に聞いた。 母が寺の出で、この鐘を撞いた体験を話してくれたこともあって、数を数えながら聞いたが、最後の百八まで聞いた覚えはない。恐らく数を数えているうちに眠ってしまったのだと思う。
子どもの頃の鐘の音はゴーン ゴーンと最後の余韻まではっきり聞こえていたので、お寺の方が、余韻が辺りに散って消えてる頃合をみて、次の鐘を撞いておられたのだと思う。音の伝播は季節によって違うから、長年の経験で、こうしたことがわかっていて、鐘の音を自然に調和させておられたように思う。こうして撞かれる鐘の音が、辺りの自然に調和して響わたる時
、人々は祈りの気持ちを込めて一日の安泰を感謝したのだった。
新しい年になると、冬の寒さは益々厳しくなり、風の音もいよいよ強まってくる。池に氷が張りつめる時のピリッ ピリッという音、吹雪が戸を叩くガタッ ゴトッという音、こうした冬の音を聞きながら、やがて来る春を待ちわびたのだった。
子どもの頃の音の記憶というものは、極めてあいまいなものだが、それでいて時には、情景を伴ったリアルな姿を再現してくれる。
ビバルディー作曲『フルート、オーボエ、バイオリン、ファゴットと通奏低音のための協奏曲二長調』より第2楽章
Largo
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