音の回想5小学唱歌の思い出
 音楽のことで私と家内との共通な話題は、長女のフルートの演奏にかかわるものが殆どだが、時には昔歌った小学唱歌のことを話すこともある。音楽教育を仕事にしてきた私でも、戦前の小学生の頃に歌っていた唱歌や童謡は、その時代の生活と結びついて記憶の奥底に残り消え去ることはない。
 何年か前に市民大学セミナーの講師をやったが、この時、地域のわらべ歌の良さをわかってもらうには昔の小学唱歌にもかかわって話すのが効果的と考え、参考資料として金田一春彦氏の編集された『明治・大正・昭和の日本の唱歌』という文庫本を求めた。家内と一緒に歌をうたうということは滅多にないが、ふたりでこの本を眺めながら子どもの頃を思い出し、知らず知らずのうちに、いくつもの唱歌を口ずさんでいた。
 この唱歌集には明治から昭和にかけての約300曲が入っているが、明治初期の一部を除けば、その殆どは歌ったか聞いたことがあるものばかりである。久しぶりに時間の余裕があったので、ふたりがそれぞれ印象に残っている曲、又はいい曲と思うものを選び、後から双方の一致する曲を書いてみると、次の10曲が浮かびあがった。
 尚、( )内には冒頭の歌詞と教科書にはじめて登場した年号を示した。曲名の前のをクリックするとその曲のメロディーが聞けます。
1) 庭の千草 (庭の千草も虫の音も……     明治17年)  

2) 美しき天然 (空にさえずる鳥の声……    明治38年)

3) 七里が浜哀歌 (真白き富士の根……     明治43年)

4) 星の世界 (月なきみ空にきらめく光……    明治43年)

5) 埴生の宿 (埴生の宿もわが宿…… 明治23年) 

6) 早春賦 (春は名のみの風の寒さや……     大正 3年) 

7) 朧月夜 (菜の花畑に入日薄れ……       大正 3年)

8) 牧場の朝 (ただ一面にたちこめた……    昭和 7年)

9)  月見草 (夕霧こめし草山に……       昭和10年)

10) 母の歌 (母こそは命の泉……       昭和17年)

 この中で1)と2)は母から伝えられたもので、明治の末期から昭和の初期にかけてはやった流行歌曲である。このふたつは母の女学校時代によく歌ったいわば青春の歌であり、戦時中であっても機嫌のよい時にはこの二つの歌をよく口ずさんでいた。
 又、7) 8) 10) は小学校の唱歌又は音楽の授業で習ったもので、7)の朧月夜 は当時の田舎の情景にマッチした詩情豊かな雰囲気を持っているので、後になっても音楽的な名曲という印象を持っている。8)の牧場の朝はなかなか素敵な伴奏がついていたこと、牧場を見たこともないのに、先生がここの情景を詳しく話して下さったことが印象に残っている。歌詞は北海道あたりの牧場を描いたものだと思い込んでいたが、後になって福島県の岩瀬牧場だということを知った。10)の母の歌は特に印象深い名曲だ。子どもの頃は親や目上の人を敬うという教育が徹底していたし、その頃は母親の子どもや家族を思う献身的な努力というものを身にしみて知っていたので、当時の子どもは先生に説明してもらったこの歌の歌詞がよく理解出来たし、曲も小学唱歌の中ではトップクラスの名曲だったので、きっと心を込めて歌ったのだと思う。後に音楽を専門に勉強するようになっても、この歌が名曲であるという考えは変わっていない。今、一度味わってみたい唱歌だと思うので、1番と3番の歌詞を紹介したい。

『母の歌』   文部省唱歌 野上弥生子 作詞

1. 母こそは命のいずみ いとし子を胸にいだきて ほほえめり
  わかやかに うるわしきかな 母の姿 

3. 母こそは 千年の光 人の世の あらんかぎり
  地にはゆる 天つ日なり 大いなるかな 母の姿

 さて、1) 4) 9) は中学校の音楽の授業で習った曲であり、自分も中学生に教えてきた歌である。ところが、6)の早春賦は私は習った覚えはないが、家内は音楽学校出のピアノのうまい先生に習ったという。この曲は名曲ではあったが、終戦当時の教科書に登場した歌としては、伴奏楽譜がやや困難だったので、音楽を専攻した先生がいない学校では、この歌を教えなかったのかも知れない。
 1)の庭の千草は、私の場合は中学生に教えた実感として、この曲の良さが印象に残っているが、今から30数年前の中学生は喜んでこの曲を歌ってくれた。最近、この歌の原曲をサザーランドが歌っているCDで、彼女の練り上げられたソプラノで聞いたが、名曲としての印象に間違いないことに意を強くした次第である。それにしても、30数年前の中学生にこのレコードを聞かせたら、どんなに感動してくれたことかと、当時の純粋な生徒の気持ちを思い浮かべてみた。最近は純粋に音楽の良さ深さを感得させることが、だんだん困難になってきているようである。
 続いて4)の星の世界と9)の月見草は子ども頃にメロディーを覚えていたものに、中学生を教えた体験が加わって印象に残っているものである。私の新任教師の頃に、全国で合唱指導が広まり出した。この頃『星の世界』を合唱で指導したことがあったが、今から思えばささやかな合唱曲だったが、生徒たちは授業の中で初めて体験する合唱の良さに目を輝かせ、喜んでこの歌を歌ってくれた。又、9)の月見草も30数年前に教えた歌だが、当時の教科書にはこの曲のような叙情的な歌曲が少なかったので、特に女生徒が喜んでこの歌を歌っていたことを思い出す。それと子どもの頃に住んでいた家の回りにたくさんの月見草が咲いており、この花が咲く瞬間を息を凝らして観察した覚えがあり、この歌の歌詞が実感としてよく分かっていたので、自信を持ってこの歌の表現を教えたように思う。
 このほかで私の印象に残っている歌には、小学校2年生の時の授業参観で、母親の前で歌ってほめられた,『若葉』(爽やかな緑よ……)、川田正子の歌う童謡や、軍歌の『海ゆかば』などがある。戦時中には学校で童謡を歌うようなことはなかったが、童謡は終戦までラジオで放送されていたので、誰もが歌えるようになっていた。終戦後もない頃に聞いたことによると、童謡「里の秋」は敗戦直前までJOAK(NHH東京放送局)の地下壕のスタジオで放送されたもので、3番の『さよなら さよなら 梛子の島 お船にゆられて 帰られる ああ父さんのあの笑顔…… 』という歌詞の部分が当時の戦時体制下で問題にされ、この3番は放送されなかったとうことだったが、最近になって、この曲の作詞・作曲者の近親者のホームページを読んでみると、戦時下で放送されていたのはこの曲ではなく、「里の秋」は終戦の年(昭和20年)の暮れ頃から復員船で戦地から帰国する兵士が多くなり、この時期に合わせてNHKのラジオで放送されるようになったということであった。   
 又、軍歌でも強く印象に残っている歌は『海ゆかば』である。この歌は敗戦が近づいてくると、名誉の戦死とか玉砕のニュースが報道される度に流されていたので、悲愴感溢れる曲としての印象が残っている。戦時中の学校では、この曲も唱歌の時間に習ったものだが、後から調べて見ると、この曲は歌詞が万葉集の大伴家持の長歌の一節であり、日本古来の最高道徳を歌った箇所に、作曲家の信時潔が曲をつけたものである。はじめてこの曲の楽譜を見て、曲としても一級の名作だと思った。この文庫本を見ると戦時体制下で当時の優れた作曲家が軍歌の作曲を余儀なくされていたことがよくわかった。
 最近はテレビやラジオの放送で、昔の小学唱歌や童謡を取り上げ、歌の演奏と同時に、過去の思い出を語る番組が盛んだが、私たちの場合も放送に登場する人たちの場合も、学校で習った唱歌が心の潤いになってきたという実感である。私たちの場合は、ここに紹介した10曲のように、子どもの時代が戦時中であっても、戦時色の少ない、音楽性の高い唱歌が特に印象に残っているが、このことは同世代の人なら誰でも同じではないかと思う。

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