《音の回想26》恵那地方のわらべうた
 わらべうたとは、子どもが遊びの中で口伝えに歌い継ぎ、作り変えては歌い継いできた歌のことをいうが、この歌は極めて伝統性が強いものである。
 子どもたちは順応性に富み、豊かで即興的な創造力を持っているので、日常的に歌詞やメロディーの一部を変えたり、新しい遊びを作っていく。この意味では、わらべうたは民俗音楽の中で最も変化の激しいものといえるが、メロディーに使われている音の形は殆ど変わらず。日本の伝統を強固に守っているのである。旧西ドイツの現代作曲家で、教育学者でもあったカール・オルフは、『子どもは民俗の根源的生命力を極めて素朴な姿で保有している。』といったが、このこと日本のはわらべうたの伝承にも顕著に表れている。
 ところで、私の住んでいる恵那地方(岐阜県の恵那市・中津川市・恵那郡)に、どのくらいのわらべうたが残されているかたいうと、今ではおよそ100曲くらいだと思う。この中で実際に子どもの遊びの中で歌われているものとなると、この3分の1程度だと思う。恵那地方のわらべうたについては今から30年ほど前に、地元の先生方によって編集された『恵那のわらべうた』という冊子が残されており、この中に遊びのタイプによって分類された、それぞれの歌の歌詞と楽譜、それに遊び方を示すカッとがつけられている。この冊子に入っている歌も今はわずかしか歌われていないように思う。
 ところで、もう10年以上も前のことがが、文化会館のセミナーで『恵那のわらべうた』をとり上げ、広く地域の皆さんに、その価値を理解してもらうことを試みたことがあった。そのために過去の資料を調査したり、様々な角度から、この地域のわらべうたを研究してみた。その結果、『恵那のわらべうた』の特徴といったものが、おぼろげながら浮かび上がってきた。それは

1)リズムの整ったものが多い。
2)変化音(♯、♭)まで含まれた音域の広いものがいくつかある。
3)曲の終わりに同じふしをくり返すエコー効果を使った曲がいくつかある。
4)言葉とメロディーの結びつきが細かいところまで歌われている。
5)ほかの地方には見られない独特なものが残っている。 
 
下の童歌を聞くには曲名の横の
印をクリックして下さい。

歌ってくれたのは中津川市立坂本小学校1年生の林伶音さんです。

(録音は平成元年)

 

《お月さまえらいな》(毬つき歌)→(クリック)

おつきさま えらいな おひさまの きょうだいで
みかずきになったり まんまるになったり
    はるなつあきふゆ にっぽんじゅうをてらす。
おつきさま えらいな おひさまの きょうだいで
みかずきになったり まんまるになったり
はるなつあきふゆ せかいじゅをてらす。


《 ちょんまげ 》(毬つき歌)→(クリック)

いっちら らっせ たっから ちょんまげ
(最初の数が にっら さんら ・・・と10らまでくり返される。)

《 おじょうさん 》)(縄跳び歌)→

おじょうさん おっはいり はいったら ふたりで じゃんけんぽ
まけたら ふたりで おにげなさーい おにげなさい。

《わしがだいじな》(毬つき歌)→

わしがだいじな おてまりさまを かみでつつんで こよりでしめて
しめたところを いろはとかいて いろはきやいて おらがとなりの
いちもんずくし にもんずくし さんもんずくしの おじょうさまへと
たしかに たしかに うけとりなーされや

《 おいもやさん 》(毬つき歌)→


せーのーでー(合図の声)
ひい− ふー みー よー いっ むー なっな や こっこ とぅ
とぅ から おいでた おいもやさん おいもは いっちょう いくらかね
さんぜんざんりん さんもうじゃ そりゃたかい
もーちょっと まっからんか ちゃからっか ぽん
おっまえのこっとなら まっけてやる
ほうちょう きりばん もちだして あったまをきったら とうのいも
おっしりをきったら やっつがしら おっならは ごめんね
ぷっ ぷっ ぷっ

 以上の五つのわらべ歌は3)を除き、この地方独特のものばかりである。この中で最初の『お月樣えらいな』は、レ ファ ソ ラ ド の五つの音で出来ていて、歌詞もなかなか格調が高いし、メロディーも比較的ゆったりした音楽性の高い曲で、小学校低学年の音楽教科書に入れても申し分ない曲だ。次の『ちょんまげ』は レ ファ ソの三つの音で出来ている極めて単純な曲で、中津川市の苗木城趾がある地域の子どもたちに伝えられている大事な毬つき歌である。4)の『わしがだいじな』は、 レ ファ ソ ラ ド の五つの音が使われている。これはわらべうたとしては音域の広い曲で、歌詞もメロディーも昔のスタイルを忠実に伝えている。5)の『おいもやさん』は、最初の合図の言葉と途中一箇所に3拍子の部分が含まれていて、子どもの即興的な遊び歌としての性格がよく出ている曲である。今も子どもが毬をつきながら喜んで歌う、生命力の強いわらべうたである。
 この拙文を書いていた時、隣のホールから小学生の歌う『いちばんはじめは いちのみや・・・・・』というわらべうたが聞こえてきた。会場に入ると1年生が、毬をつきながら、わらべうたを歌っていた。ところが、西洋音楽の歌は、いきいきと声を張り上げて歌う子どもたちが、ひとたび祖母から習ったというわらべ歌になると、どうも元気がない。父兄への公開ということもあって、恐らく、どの曲もよく指導してある筈だが、わらべ歌を歌う子どもの様子がどうもおかしい。外で元気にわらべ歌を歌って遊んでいた子どもたちのバイタリティーは、ここでは全く感じられない。
 よく考えてみて分ったことは、食生活では和洋折衷を平気でこなす子どもたちも、音楽感覚では和洋折衷は出来ないということだ。子どもが祖母から伝えられたわらべ歌は、日本人が昔から伝えてきた伝統的な音楽感覚の歌であり、先生が弾かれたピアノ伴奏は、西洋の音色と和音を使った伴奏だったので、子どもにとっては味噌汁とシチューをいっしょに飲むような状態だったと思う。勿論、意図的に日本のわらべ歌を西洋の音楽で料理(和声づけ)し、編曲を通してそれなりの効果を上げた例はたくさんあるが、これは又意味が違うと思う。
 日本のわらべ歌はメロディーの伝承という点で極めて強い生命力をもっていることを先に述べたが、このことは、特性を生かせば大きなエネルギーを発揮するが、特性を誤ると、本来のエネルギーを失ってしまうということである。
 わらべ歌や地域の民俗芸能の音楽には、日本人としての血の流れのようなものがあり、興味・関心以前に、日本人の体質として、こうした音楽を求めるエネルギーがあるように思う。又、わらべ歌は、子どもの自然な遊びの中でこそ、主体的なエネルギーを発揮するものであり、子どもが伝えてきた、子どものための価値ある文化だと思う。

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