《音の回想20》日本の音楽と子ども

 日本の学校で教えている音楽は、その殆どが西洋音楽であって、自国の伝統音楽は、ほんの申しわけにつけ加えられた程度である。明治初期の学校教育に音楽を取り入れた頃の教科書を見ると、西洋の楽譜で、その骨組みのみを扱った『越天楽』や『さくらさくら』などが入っており、この2曲は今だに受け継がれている。しかし、こうしたものは日本の音楽というよりは、西洋の楽譜の枠組みに日本のメロディーをはめ込んだものであって、果たして日本の伝統音楽といえるかどうかは疑問である。
 音楽教育の分野でも、最近は国際化を目ざして、基本となる自国の伝統音楽を尊重する空気が高まってきたことは確かである。しかし、現状の教育体制では、日本の伝統音楽を尊重するような子どもを育てることは容易なことではない。この理由は教育行政をはじめとして、音楽を実際に教える教師自身に、日本の伝統音楽を理解している人が極めて少ないこと。又、理解していないことをごく当り前に考えている者が多いということである。
 現行指導要領の大きな柱のひとつに『国際理解を深め、わが国の伝統文化を尊重する態度の育成を重視する。』があるが、一部を除けば教師の伝統文化に対する関心は極めて低調で、この趣旨を生かすことは容易ではないと思う。いつだったか在日韓国人の映画作家で『潤の町』という映画で知られる金 秀吉さんが『日本人は自分たちの文化を尊重してほしい。これを大事にしていれば、相手国の文化も尊重する筈である。』と言っている新聞記事を読んだが、私も全く同感である。
 さて、私が日本の伝統音楽に目を向けたのはもう30年くらい前のことだが、意を決してこの分野の教育研究をするようになったのは、私の授業を参観して下さった西ドイツ、ハノーバー 音楽院のフェルディナンド・コンラート教授の、『日本の教師は何故自国の精神文化としても伝統音楽を教えないのか。』という発言だった。欧米諸国では、西洋音楽そのものが自分たちの伝統音楽であって、これを継承・発展させていくことが、人間らしく生きることにつながる。という疑いもない考えで音楽教育を進めているのに対して、日本の教師は疑いもなく他国の音楽(ここでは西洋音階の曲のこと)を一辺倒で教えている。どうしてこういうことをやるのか理解できにくい。というのが外国、特にヨーロッパから来た音楽教育関係者の疑問なのである。
 かって、私は約10年ばかりかけて、日本の伝統音楽の指導法を研究したことがあるが、日本の伝統音楽等に子どもが関心を示さない最大の原因は、教師側にあるのであって、児童・生徒側には殆ど問題はないというのが実感である。西洋音楽の専門教育を受け、これしか体験のない教師は、体質的に日本の音楽を避けて通ろうとしたり、西洋音楽の窓からしか日本の音楽が見られなかったりして、日本音楽本来の自然なエネルギーを子どもから引き出すような指導が出来ない。ここに最大の弱点があるように思う。私も最初は日本の音楽を西洋音楽の窓からしか見ることが出来ず、何でも西洋の楽譜に書き直して、西洋音楽的に加工して指導していたことがあるが、こうした扱いでは子どもの主体的ば活動は殆ど生まれず、時間の浪費も大きく長続きしないことがわかった。
 結局、自分自身が体を通して日本の音楽を体験し、同じように理屈でなく体を通して子どもに音楽を伝えていくという方法が最も効果的だということが分かるまでに3、4年はかかったように思う。約10年間の日本の音楽の指導を通して、日本の音楽には先祖から伝えられてきた血の流れのようなものがあり、興味・関心以前に、日本人の体質として、こういった音楽を求めるエネルギーが潜在的に受け継がれていることを実感したのである。西洋音楽の感覚を捨て、日本の音楽に没入させ、その良さ深さを感得させるのに特に効果的だったのは郷土の民俗芸能の音楽だったが、この音楽は素材さえ選べば、短時間にいきいきと我を忘れて没頭できる魅力的なものであり、理屈抜きに体ごとぶつかっていける日本の太鼓の演奏が、今日的な教育課題である生徒指導にとっても極めて有効だあり、子どもたちは伝統的なリズムを巧みにいきいきと演奏することにも気づいた訳である。
 地域に伝わるわらべうたや民俗芸能の音楽は、もともと民間レベルの技術で、比較的短時間に習得できるものであり、素材さえ選べば、授業の少ない時間やゆとりの時間などで扱うことも出来る。それでいて、地域に根ざした素朴な美しさや味わいをもっていること、更に日本文化の歴史的経緯から、伝統音楽の要素をもち、これとのかかわりが極めて強いことから、こうした音楽を体を通して指導してきたことがよかったという実感である。
 子どもたちは日本の音楽の特質さへ踏まえて指導すれば、短時間に日本の太鼓ばかりでなく、琴や三味線、それに篠笛等の音楽にも興味を持ち、こうした楽器を興味を持って演奏するようになるし、演奏体験を通して高度な伝統音楽を理解するようにもなっていった。 子どもが雅楽の演奏で音の微妙なずらしをはじめて知って感動したり、日本の音楽では、かすれたように聞こえる音も柔らかく感ずると感想を述べたり、日本の音楽は西洋の音楽に決してひけをとらない。といい切っていることから、こうした日本の音楽の良さ深さを、体を通して体得させていくことが最も効果的だと実感したわけである。
 かっての文部省教科調査官だった花村大先生は『伝統文化の理解と尊重、その伝承は文化の創造の基底をなすもので、この思想を欠くところには文化の開花は期待できない。』 といっておられたが、これからは音楽ばかりでなく、総合的に伝統文化を尊重する教育が強力に展開されなけらばならないと思う。 
 日本の伝統音楽を指導してきた体験から、子どもは日本の伝統音楽を理解し、これを発展させていく資質を十分備えていると思うし、わが国の伝統文化の良さ深さを体得させていけば諸外国の伝統文化の重さを理解し、これを尊重するようになることは確かだと思う。しかし、現実の子どもの姿を見た時、こういう態度はごくありきたりの指導で育つようなものではない。やはり、教育課程に明確に位置づけられた意図的計画的な指導の積み重ねがあってこそ、はじめて可能になることだと思う。それにしても、教師自身の伝統文化の理解と尊重が先決のように思われるのである。

この項の詳細は拙者著:学校教育における日本の音楽の指導法(全音楽譜出版社)を参照されたい。

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