《音の回想24》弥生の笛

 ここでいう弥生の笛というのは私が持っている陶けん(けんは土辺に員と書く)のことだが、この笛はちょうどアヒルの卵を縦にして尖った方を下に立て、反対の緩やかな方を上に向けて立てた頂点に、直径1センチほどの吹き口と思われる穴を開け、立てた後ろ側に左右の親指で押さえる二つの穴を開け、全面には左右の人さし指と中指で押さえたと思われる4つの穴を開けたもので、私が持っているものは昭和41年に下関の綾羅木郷台地の弥生前期の縦穴式住居跡から発掘されたものの、素焼きの原寸大コピーである。
 私は西洋の管楽器ではフルートとリコーダー、日本の楽器では篠笛や尺八などを吹いたことがあるので、先にに述べた指使い(運指)は、ほぼ間違いないと思うが、どのように吹いても、西洋や日本の音楽らしいメロディーは浮かび上がってこない。
 ところで音楽の分野での古代史は遅々たるもので、明らかになっていることは極めて少なく、この笛のことになると想像の域を脱することは困難である。この笛(陶けん)にかかわる歴史を紐といてみると、縄文時代の後期には東北から関東にかけて石や土の笛が発掘されており、この中に穴が一つ又は二つの陶けんと同じような形の笛が含まれている。又、この笛がどのような時に使われたかについては、この時代の遺跡から土器とともに出土する土偶が、大陸方面に繋がった原始宗教とかかわっていたと考えると、こうした宗教的な儀式の中で演奏されたと考えても不自然ではないし、この時代には稲の水田耕作が盛んになって、社会組織が出来かけ、職業も分化していたことからかなり専門的な技術を持った人が作ったものに相違なく、合計七つの穴が開いた、しかも、同種の楽器を同時に吹いた時に、ある程度まで音程が合うものだったと考えられる。
 一方、この時代には朝鮮半島南部からの人口流入が激しく、それ以前の縄文時代に遡ると、インドネシヤなどの南方からの流入もあったとする学説があることから、この笛の演奏には諸外国の文化の影響があることは確かである。実際に中国最古の詩集で、孔子が編集したとされる『詩経』の中に、『伯氏はけんを吹き仲氏はこ(竹冠の下に虎を書く)を吹いて…』の故事があることから、縦笛の陶けんと竹製の横笛がこの時代にあったことは確かである。このように陶けんは中国の孔子時代にまで遡ることができ、全面4孔後面2孔の私が所有している土笛は、この時代に完成していたものとほぼ同じではないかと考えた。中国では古くから音楽理論が発達し、唐の時代に孔子廟で演奏されていた音楽が今も伝えられていると聞くが、実際の演奏を聞いたことがないので、この笛(陶けん)がどのように演奏されるか、音の高さが私の持っているコピーと同じかどうかもわからないが、大変古い日本の弥生時代にこの笛が演奏されていたことは確かである。
 時代は少し下るが、弥生末期の記録とされる魏志倭人伝には倭の国(日本)の風俗として、中国の令亀法と同じ方法で吉凶を占うことが書かれているし、古墳時代と推定される古事記には当時の儀式に横笛が使われたという記述があり、更に今の宮中に伝えられている神楽は弥生示時代がその起源とされている。こうした記述や吹いて出る音色から推察すると、この笛は宗教的な儀式の中で、その雰囲気を高めるために吹かれていたように思われるのである。
 この単純な土笛は謎に包まれていて、解明されない部分も多いが、それだけに、あれこれ推理してみる楽しさがある。『古代のインド、又はササン朝ペルシャに端を発し、中国で完成されたこの陶けんが、朝鮮大陸を経て日本の弥生時代にわが国に伝えられ、古代の宗教行事のクライマックスで朗々と鳴り響いていた。この笛の音が今ここに蘇った。』こんな風に推理してみることも出来るのである。この土笛(陶けん)の単純でひなびた音が、謎に包まれた古代史の世界へ導いてくれるのである。その音はわびしく、くすんだものであり、古代の憂いを伝えてくれるようでもある。
 
尚、この陶けんについて、詳しいことを知っておられる方がありましたら教えて下さい。


目次にもどる